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 現代釈迦道の提起

                    山 口 順 久

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目 次

 はじめに
 Ⅰ. 仏教の母体 バラモン教
 Ⅱ. 釈迦仏教(初期仏教)
  Ⅱ.1. 釈迦略年譜
  Ⅱ.2. 釈迦の出家
  Ⅱ.3. 釈迦が覚ったこと
      (1) 初転法輪
      (2) 四諦・八正道
      (3) 三法印
      (4) その他の代表的な教え
  Ⅱ.4. 釈迦が説いた修行(布教)とその組織
  Ⅱ.5. 釈迦仏教のその他の特徴
  Ⅱ.6. 釈迦仏教のその後
 Ⅲ. 大乗仏教
  Ⅲ.1. 概説―大乗仏教とは―
  Ⅲ.2. 概略史
  Ⅲ.3. 主要な経典の要点
   Ⅲ.3.1 『般若経』
      Ⅲ.3.2 『金剛般若経』
   Ⅲ.3.3 『法華経』
   Ⅲ.3.4 『観音経』
   Ⅲ.3.5 『維摩経』
   Ⅲ.3.6 『阿弥陀経』
   Ⅲ.3.7 『大無量寿経』
   Ⅲ.3.8 『観無量寿経』
   Ⅲ.3.9 『華厳経』
   Ⅲ.3.10『勝鬘経』
   Ⅲ.3.11『楞伽経』
   Ⅲ.3.12『金光明経』
   Ⅲ.3.13『理趣経』
   Ⅲ.3.14『大日経』
   Ⅲ.3.15『金剛頂経』
 Ⅳ.  日本の仏教
  Ⅳ.1.  歴史
   Ⅳ.1.1 前史
   Ⅳ.1.2 飛鳥仏教
   Ⅳ.1.3 奈良仏教
    Ⅳ.1.3.1 三論宗
    Ⅳ.1.3.2 法相宗
    Ⅳ.1.3.3 華厳宗
    Ⅳ.1.3.4 律宗
   Ⅳ.1.4 平安仏教
    Ⅳ.1.4.1 天台宗
    Ⅳ.1.4.2 真言宗
   Ⅳ.1.5 鎌倉仏教
  Ⅳ.2  現存宗派の概要
   Ⅳ.2.1  法相宗
   Ⅳ.2.2  華厳宗
   Ⅳ.2.3  天台宗
   Ⅳ.2.4  真言宗
   Ⅳ.2.5  浄土宗
   Ⅳ.2.6  浄土真宗
   Ⅳ.2.7  日蓮宗
   Ⅳ.2.8  臨済宗
   Ⅳ.2.9  曹洞宗
 Ⅴ.  仏教の教理展開と評価
  Ⅴ.1  インドでの展開
   Ⅴ.1.1  釈迦仏教
   Ⅴ.1.2  「空」―『般若経』
   Ⅴ.1.3  「仏」―『法華経』
   Ⅴ.1.4  「形ある仏」―『般舟三昧経』
   Ⅴ.1.5  中観派―龍樹『中論』
   Ⅴ.1.6  瑜伽行唯識派―世親
   Ⅴ.1.7  「仏=世界」と「菩薩行」―『華厳経』
  Ⅴ.2  中国・日本での展開
   Ⅴ.2.1  三論宗
   Ⅴ.2.2  法相宗
   Ⅴ.2.3  華厳宗
   Ⅴ.2.4  天台宗
   Ⅴ.2.5  真言宗
   Ⅴ.2.6  浄土宗
   Ⅴ.2.7  浄土真宗
   Ⅴ.2.8  日蓮宗
   Ⅴ.2.9  禅宗
  Ⅴ.3  総括、課題と展望
 Ⅵ.  現代釈迦道
  Ⅵ.1  現代釈迦道の立脚点
  Ⅵ.2  現代釈迦道の概要
   Ⅵ.2.1  釈迦道の再確認
   Ⅵ.2.2  現代釈迦道の大要
  Ⅵ.3  智行―世界観の参究
   Ⅵ.3.1  従来の「縁起」理解
   Ⅵ.3.2  「縁起」の内実―世界の在り様の抽象相
   Ⅵ.3.3  世界の在り様の具象相
    (1) 世界の成立―宇宙の展開
    (2) 人間の登場とその特性―心の在り様
    (3) 社会システムと世界観の展開
    (4) 具象相の概要
  Ⅵ.4  坐行
   Ⅵ.4.1  坐禅の要点
   Ⅵ.4.2  坐行の概要
   Ⅵ.4.3  身体技法
   Ⅵ.4.4  坐って何をする
   Ⅵ.4.5  自己をならう
  Ⅵ.5  常行
 Ⅶ.  現代釈迦道の組織
  Ⅶ.1  基本的な考え方
  Ⅶ.2  釈迦道会の修行システム
    (1) 修行システムの要点
    (2) オンライン釈迦道場
    (3) オフライン釈迦道場
 付―諸々の事柄について
    易行化・・・輪廻と解脱



  はじめに  

 本稿は、現代から未来に向かって生きる釈迦仏教の在り様(「現代釈迦道」と称す)を考察し、提起するものである。ここで考察する内容は広い意味で仏教の範疇に入るものであるから、「現代仏道」という方が自然であるのに、敢えて釈迦道という耳慣れない言葉を使ったのは、仏道と言ってしまうと既存の大乗仏教における仏を前提にした仏道が観念されてしまう恐れがあると思われるためである。
 なお、仏教の現況についての認識は、主に一般向けに発刊された書籍を参考にしている。
 仏教の在り様を考察するにあたっては、仏教は宗教の一つであることから、宗教がそもそも何故必要とされ、存在しているのかということから始めるのが適当であると思われる。
 人は、その人生を生きて行く中で、思い通りになることはまずなく、殆ど思い通りにならないことから絶えずストレスを感じることになる。そればかりでなく全く予想していない困難に度々遭遇するというのが現実である。人は、そのような困難に対処しつつ生きて行くことになるが、その際に精神的に耐えられなくなることが多々ある。そのような場合、人は心の拠り所や救いを求めることによって精神的安定を得ようとするが、それが出来なければ、生きて行くことができない生きものである。
 何故、そうなのか。他の生きものはそのようなことはない。人間は、その頭脳・神経系が特に発達した生きものであり、無数の神経細胞が相互に多元・多重に連携して成る高度の神経機能構造体を構成し、かつ複雑・多岐にわたる文化的な社会構造の中で成長・生存することでそれと有機的に連携して一層複雑化した様相を呈しており、人間の精神はその現象態としてある。かくして、精神の機能・現象は高度に複雑な相互連関メカニズムによって成立しているので、高度な機能・能力を持つと同時に、極めて繊細で不安定な要因を多く持っている。一方、人間は生命体であることから本源的にその自己保持特性を持っている。そのため、精神的に耐えられず、心のバランスを崩し、自己崩壊を来すような苦痛を受けた場合には、通常は本能的に自己崩壊を回避すべく苦痛から逃避する性向を持っている。しかし、人間の精神は厄介なもので、自ら正当化して納得できる理由付けが無ければ、逃避することすらもできないものとなっている。正に、このような精神的危機の回避手段として人は宗教を登場させてきたと思われる。
 社会が未発達で、小さな人間集団が共同体を構成し、その共同体が直接的に自然界と接触して生活しているような社会においては、自然物に神や精霊が宿り、その神の意志をシャーマンが聞き、シャーマンが伝える神の意志通りに行動することによって困難や苦痛を回避できると信じ、回避できなかった場合にもそれが神の意志であるとして受け入れることで、共同体の存続とその構成員の精神安定を得るシャーマニズムや多神教が、生活と一体化した「生きた宗教」として存在していた。
 次いで、農業生産の発展に伴って地域毎に王国が登場した段階では、統治主体としての王が、多神教の中でも特定の神、例えば太陽神などを他の神々に比べて特別に重要で支配的な神として崇め祀るようになる。一方、人々にとって宗教は、王国を構成している共同体の民として旧来の神との関係を維持していたものと思われる。
 このような王国段階を経て、さらに広域の商品流通が発展して帝国が登場すると、その領域内の地域毎の種々の神々を超越し、その上に立つ神が必要とされ、キリスト教のゴッドやイスラム教のアッラーのような絶対的な唯一神を登場させることになる。帝国における一神教の宗教世界では、原理的には神、すなわち宗教が政治・経済を含む社会全体を包括的に統御するものとして存在している。また、宗教は人々に唯一神に対する絶対的な帰依を求めるものであり、絶対神に帰依することによって自ら担っている精神の重荷を解放して苦しみから解き放たれるというものになった。
 仏教は、多神教の王国と一神教の帝国の間の狭間の地域・時期に奇跡的に誕生した特異な宗教であると言える。共同体から離脱し自立した都市民は、共同体秩序を前提にした王国における旧来の神々には根本的に依存することが出来ないことから、彼らが生きて行く上で受ける苦から自らを解放することができる独自の宗教を求め、それに答えるものとして仏教が登場してきたのであり、神々の世界を超えた世界でかつ一神教的な発想とは真逆に絶対的な実体の存在を否定するものとして誕生したのである。
 現代社会は、政治経済システムと学術・芸術・スポーツなどの文化との複雑な複合構成体として存立し、その中で人々の種々の困難や苦しみの多くは、複雑な複合構成体における基底的かつ主要なシステムである政治経済システムの問題から派生するものであり、自然から受ける困難も同システムを介して受けることになり、基本的に同システムの問題である。従って、同システムの問題は本質的に政治的・経済的な制度の中でしか解決することはできず、そこで解決を図るべき問題である。そのような問題を、人の心の問題、個人の精神的な問題として解消を図ろうとすることは、問題を解決するのではなく、問題を維持拡大させることになる。その一方、社会的問題から発生してしまった人間の精神的な苦や、その継続によって派生した精神的な障害については、精神心理学や病理医学的な手段で解決できるものもあり、その面での医科学的な解決手段も徐々に現れてきている。しかし、解決可能なものは所詮原因が単純な一部の症例に対してのみ有効であるに過ぎない。
 現代における宗教は、これら医科学的な解決手段では解決できない人の心の問題、種々の困難や苦しみを解決するものとして存在する。すなわち、科学的な対処では解決できない心の問題の部分が残る、あるいは、というよりも経済社会システムから派生している問題とそれを受ける個々人の精神、心の在り様の両者が相互に絡み合って作用し、混然一体となって人の精神・心を痛めつけることで、医科学的な手段の対象にならない、あるいはなり難い心の問題が生じているということである。現代の宗教は、そうして生じた心の苦しみの解消を図るもので、科学的に対処できない人間の心の在り様の側から人の苦痛にアプローチしてその解消を図るものである。
 次に、宗教の中で、何故一神教に対する帰依を「良し」とすることなく、仏教に活路を見出すのかということを説明する。
 物財の大量生産社会である近代社会においては、主体と客体を対置して世界を理解しており、一神教はそのような世界の上に立つ唯一の絶対神を想定し、この世界の創造主としての絶対的な存在に対する帰依を求めるものである。また、主体による客体の理解とされる科学的知見に関しては、その知見のように神が創造されたとすることで内部に取り込むことができるとともに、苦や困難に対する科学的解決手段についても受け入れ可能であり、倫理についても神に対する信仰の在り様、神に対する約束事若しくは契約として提示され、すべてを神に収斂させるものである。
 このように絶対的な存在への帰依に依存することはそれ自体で人間の主体的な価値判断と実践に対して抑制作用を与えるとともに、さらに絶対的な存在への帰依に止まらず、教主や本山などの権威が形成されてその権威に対する暗黙の服従が支配的となり、個人の主体性を根底のところで阻害することになって好ましくなく、帰依による苦からの精神的な解放と主体性の抑制との二律背反に陥ることになると考えられる。
 しかし、現代は物財生産社会から情報社会へと移行する時代である。物財生産社会では客体としての物財に価値を置き、物的価値を物の中に実体化し、それを対象として実践する主体を実体としてとらえていたが、情報化の進展に伴い、物的価値とされるものは実体的なものでない情報にあり、それは主体との相互関連によって規定されるものであり、その主体とされるものも、情報流通によって絶えず転変する情報ネットワークにおける情報流通の担い手として、ネットの網目のような実体的ではない存在であり、かくして客体も主体も実体的なものではないことが明らかになってきている。神の創造物とされている客体も主体もこのように実体的でないことが明らかになることによって、創造神そのものの想定がその根拠を失いつつあるというのが現在の状況であろうと考えられる。
 そこで、未来に向けて個人の主体性に依拠しつつその個人の精神的な苦からの解放を実現できる宗教として考えられるのが、ゴータマ・シッダルタ(釈迦)が開いた仏教、特に一神教的なものに変化し「帰依」を求める大乗仏教ではなく、その前の釈迦の「目覚めた真実」に「信頼」を置く、初期の釈迦仏教が最も適合したものと考えられる。
 本稿では、まず仏教の母胎であったバラモン教の在り様を確認し、次いで釈迦の開いた初期仏教の教えがどのようなものであるかを確認し、次いで大乗仏教へと変化した経緯とそれらの教えの在り様を確認し、最後に初期の釈迦仏教の特性を生かしつつその教えを現代から未来の社会に適合するように展開し、現代の釈迦仏教の在り様、すなわち現代釈迦道とそれを実践するための釈迦道場の形成を提起しようとするものである。


 参考文献

佐々木閑 『ゴータマは、いかにしてブッダとなったか』
               NHK出版新書 2013年
ワールポラ・ラーフラ 今枝由郎訳 『ブッダが説いたこと』
               岩波文庫 2016(原本1959)年
馬場紀寿 『初期仏教』 岩波新書 2018年

竹村牧男 『哲学としての仏教』 講談社現代新書 年2009年
植木雅俊 『仏教、本当の教え』 中公新書 2011年
並川孝儀 『ブッダたちの仏教』 ちくま新書 2017年
三枝充悳 『インド仏教思想史』 講談社学術文庫 2013(原本1975)年

寺西重郎 『日本型資本主義』 中公新書 2018年
佐々木閑 『大乗仏教』 NHK出版新書 2019年
中村元 前田專學監修 『大乗の教え』(上)(下) 岩波現代文庫 2018年
  (原本2001年、原典NHKラジオ「こころをよむ/仏典」1985,年)
柳田聖山 『禅思想』 中公新書 1975年
南直哉 『『正法眼蔵』を読む』 講談社選書メチエ 2008年
蓑輪顕量 『仏教瞑想論』 春秋社 2008年
頼住光子 『道元の思想』 NHK出版 2011年
石井清純 『道元―仏であるがゆえに坐す』 佼成出版社 2016年

町田宗鳳 『前衛仏教論』 ちくま新書 2004年
ケネス・タナカ 『目覚める宗教』 サンガ新書 2012年
南直哉 『超越と実存』 新潮社 2013年

中村元訳 『ブッダのことば―スッタニパータ―』 岩波文庫 1991年
中村元訳 『ブッダの真理のことば・感興のことば
      ―ダンマパダ・ウダーナヴァルガ―』 岩波文庫 1991年
中村元訳 『ブッダの最後の旅
      ―マハーパリニッパーナ・スートラ(大般涅槃経)―』岩波文庫 1991年                      
梶山雄一訳 『八千頌般若経』 中公文庫 2001年
宮坂宥勝 『和訳 大日経』 東京美術 1992年
津田眞一 『和訳 金剛頂経』 東京美術 1995年
大角修 『大日経・金剛頂経』 角川ソフィア文庫 2019年
水野弥穂子校注 『正法眼蔵(一)』 ワイド版岩波文庫 1993年

甲賀紘慈 「正法眼蔵 現成公案」 kogetsuji.justhpbs.jp
非公開 『禅と悟り』「現成公案」 sets.ne.jp
松岡由香子 『打坐の思惟』「現成公案」 eonet.ne.jp