Ⅰ. 仏教の母体 バラモン教

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Ⅰ.仏教の母体 バラモン教

Ⅰ.1 成立
 BC1500年頃に、自然崇拝から起こった多神教を持つアーリア人が、霊が輪廻する肉体霊二元論を持つドラヴィダ人が先住するインドに侵入し、支配者のアーリア人が主宰するバラモン教を誕生させ、神々を讃える聖典『ヴェーダ』を作りだした。

Ⅰ.2 バラモン教の祭祀
 森羅万象に神が宿り、その思し召しによって世界が成り立っているという世界観を持っており、その神々をほめ讃え、お供えをする祭祀を、聖典『ヴェーダ』に基づいて神と交信する能力がある祭司(シャーマン)=バラモンが行う。
 バラモンは、四姓(ヴァルナ(皮膚の色)・ジャーティ(生まれ))制度=カースト制度における最高位の階級である。四姓制度は大きくは
 ①バラモン=祭司(アーリア人)
 ②クシャトリア=王族・武士(アーリア人)
 ③ヴァイシャ=庶民(アーリア人・先住民)
 ④シュードラ=隷属民(先住民)
 (ランク外)チャンダーラ=不可触民
からなる。それは、『リグヴェーダ』において巨大な原人から宇宙が展開した経路を説明している「プルシャ(原人)の歌」に、「神々が原人(プルシャ)を切り刻んだ時に、口はバラモンであった。両腕はクシャトリアとなされた。太股はヴァイシャとなされた。足からはシュードラが生み出された。」という記述があることから、原人(プルシャ)の身体のどの部位から生じたかによって決まる身分とされている。また、四姓制度は、生まれによって規定される「穢れ」の少なさ・多さに応じて決まっているものとされ、かつその「穢れ」は伝染するので階級間の接触は避ける必要があるとされている。

Ⅰ.3 バラモン教の輪廻
 バラモン教では、人間の行為(業・カルマ)が原因となって、次に生まれかわる境涯(次の世の運命)が結果として決まるという、転生輪廻(サンサーラ)ということが信じられている。
 具体的には、あらゆる生物には、①天界、②人間、③畜生、④餓鬼、⑤地獄の五趣(道)輪廻の宿命があるとされている。
 この宿命は一生涯変わらないが、徳を積むことで、次に生まれるとき、上位の境涯に生まれることができるとされ、祭式による天界への再生を目指した。ただし、それは第三姓のヴァイシャまでである。また、天界にいても、寿命がくると様々な苦しみを伴って死ぬこと(天人五衰)は避けられないとされている。

Ⅰ.4 バラモン教の展開
 BC800年頃になると、バラモン教が単に祭祀を司る役割だけになっていることを批判し、真理を探究する動きが出て来て、『ブラーフマナ』で、宇宙唯一の根本原理として「ブラフマン(梵)」(梵天神)が見いだされる。
 BC500年頃になると、『ウパニシャッド』で、「不生」「不老」「不病」「不死」である個人存在の本体としての「アートマン(我)」が見いだされ、「ブラフマン(梵)」と「アートマン(我)」は本来同一であり、輪廻から「アートマン」を解放して「ブラフマン」と一体になるという「梵我一如」の思想を生み、この唯一普遍なるものを自我に見出す、瞑想を主体とした実践哲学が確立された。
 その結果、自我の普遍性に伴い、修行によって「業」による「輪廻」からの「解脱」、すなわちカースト制の最高位であるバラモンを超越した境地への「解脱」の思想が生まれ、反バラモン・反四姓制の沙門宗教が登場してきた。沙門(サドゥ)とは、努力をする人という意味で修行者を指し、修行者は瞑想による精神集中の力で、輪廻の運命から抜け出す解脱の道に至り、幸せなところに生まれて楽に暮らすことを目指すものである。また、解脱に向けて悪い要素を相殺して清浄にするため、裸で暮らす、草・牛糞・樹木・果実を食べて暮らす、麻衣を着る、髪を抜いてしまう、立ったままで暮らす、茨の上で寝る、断食、無言などの苦行は必要なものとされている。
 なお、釈迦も最初はこのような修行者に師事して「老病死」の「苦」から解脱する普遍の真理を求めようとした。
 また、仏教と並行して生まれたジャイナ教においては、真の主体であるジーヴァル(生命を意味する)に外部から「業物質」が流入することで輪廻を繰り返すものとし、苦行によって「業物質」を滅することで解脱することができるとしている。
 このような沙門宗教、ジャイナ教、仏教などの新たな宗教は、ガンジス河流域で商業活動が活発化して都市化が進み、その部族社会から切り離された都市空間において「個の宗教」として登場してきたものである。