Ⅱ. 釈迦仏教 (初期仏教)

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Ⅱ. 釈迦仏教 (初期仏教)

Ⅱ.1 釈迦略年譜

 BC566年: 現ネパールの地のカピラ城の王族(クシャトリア)の王子として、
       郊外のルンビニー園で生誕
 BC537年: 29才で妻子を捨てて出家、6年間苦行
 BC531年: 35才で苦行を止め、菩提樹下での瞑想修行にて覚り、以降45
       年間教えを説く
 BC486年: 80才でクシナーガルで入滅
 なお、年代の具体的な数値は一つの有力な学説に基づいたものであるが、確定したものではなく、例えばBC483年やBC383年生誕というような100年以上の違いがある説もあり、大体の年代を考える上での基準となるものと考えてもらえればよい。

Ⅱ.2 釈迦の出家

 釈迦(ゴータマ・シッダルタ)が成人したとき、父王は、王宮内で可愛がって育てた釈迦が王になるのに当たって世間を見せておく必要があると考え、王宮の外に出遊させることにした。釈迦は王宮の四つの門から順次出遊し、各門から出るたびにそれぞれ老・病・死の苦しみの現実を目の当たりにし、自らも同じ境遇を背負うかもしれないことに苦しみ、最後の四つ目の門から出たときに修行者(サドゥ・沙門)に会ってその生き方に啓発され、修行者として出家することによって苦しみのない生活を得ようとした。このとき、釈迦は29才であった。この「四門出遊」と言うのは出来過ぎた話で、そのまま信じられるものでは当然ないが、元々悩み多き青年で、成人して世間の現実を見たことでさらに苦しみ、出家する決意をしたこと自体は事実と見ることができる。
 出家した釈迦は、ヴァイシャリーで修行者について「無所有処」(有るということはない、何もないという境地)を得る禅定修行を行い、すぐに体得するが目指す道ではないとし、次にラージャグリハに行き、修行者について「非想非非想処」(「無所有処」より上層の境地とされる、想いがあるのでもなく、ないのでもない境地)を得る修行をするが、それらの境地に達するのみで、それを悟りとして錯覚に陥っているだけで、証知・正しい目覚めに導かないとしてこれにも満足しない。次に、バラモン教のブラフマン(梵天)の聖地であるガヤーに行き、ボードガヤー(ブッダガヤー)のウルヴェーラの苦行林に入り、修行者について6年間にわたって厳しい修行を行った。しかし、その過酷な修行によっても、この世の一切の苦悩から解き放たれて永遠の安らかな境地に至るという目的は達成できないことを確信した。そこで、一転してスジャータという娘から乳粥をもらって食べ、体力を回復して肉体的に楽で心地よい場所である大樹(菩提樹)の木陰で、精神を集中して瞑想するという修行を行い、遂に覚りを得ることができた。

Ⅱ.3 釈迦が覚ったこと

Ⅱ.3.1 初転法輪

 釈迦は当初、自分が覚ったのはあくまで自分自身の苦しみを除く道であり、他人を皆救える訳ではないとして、その道を皆に教えることは特に考えてはいなかった。しかし、世の中で苦しみ、教えを求める人が現れたので、それらの人に対して「覚り」の道を教える必要性を認めるようになったものと考えられる。なお、その経緯として、空から梵天が降りてきて、「覚り」の道を広めることを要請されたという話がある。しかし、これは作り話と思われるとともに、梵天が持ち出されていることからバラモン教の影響が強く、支配的であったことを示している。このように釈迦の教えは自己救済が基底としてあって、その上で救いを求める人に対して自己救済の道を伝えるということであって、普通の「布教」とは異なる。
 釈迦が覚りで得た真理、その教えは、生前には文字で記録されておらず、BC1Cになって、上座部と大衆部に大きく分裂する中で、釈迦が語った教えの記録として、『ニカーヤ』(パーリ語の五千以上の経を収めた原始経典類、漢訳『阿含経』)が作られた。その中で、『スッタニパータ』(「経(たていと=真理を伝える言葉)の集成」、散文と1149詩句からなる8章構成)と、『ダンマパダ』(「法の言葉」、423詩句からなる26章構成)が有名で、特に後者は吟詠するように韻を踏んで作られた平易な短編詩集のような語録であるため良く読まれる。これらの経によって釈迦の教えを知ることができるが、それは釈迦から教えを受けた弟子たちの記憶が伝聞され、それを後に理解し、解釈した内容であるため、必ずしも当初のものが正確に記述されたものとは言えず、また釈迦は相手の能力や資質などに応じて、それにふさわしい形で法を説く「待機説法」を行ったと言われ、かつ修行者の在り方として「真のバラモン」という表現がなされていることに端的に表れているように、バラモン教と沙門宗教の世界の中での説法であったので、一言一句を個別に取り出してそれをそのままの形で真実であるとすることはできない場合があるということを心しておく必要がある。
 釈迦は、最初、覚った教えを嘗ての指導者に伝えようとしたが、相手にされなかった。そこで、苦行林で共に修行した五人が居るベナレスに行き、その北方のサールナート鹿野苑で初めて法を説き、この「初転法輪」で教えを受けた五人が最初の弟子となった。
 「初転法輪」においては、「四諦」と「八正道」=「中道」、及び「三法印」が説かれたと言われている。
 『ダンマパダ』第14章「ブッダ」の第12,13偈(通しNo.190,191)に、「さとれる者(=仏)と真理のことわり(=法)と聖者の集い(=僧=サンガ)とに帰依する(拠り所とする)人は、正しい智慧をもって、四つの尊い真理を見る。―すなわち(1)苦しみと、(2)苦しみの成り立ちと、(3)苦しみの超克と、(4)苦しみの終滅におもむく八つの尊い道(八正道)とを見る。」と記されている。
 また、『ダンマパダ』第20章「道」の第1偈(通しNo.273)に、「もろもろの道のうちでは八つの部分よりなる正しい道が最もすぐれている。もろもろの真理のうちでは四つの句(四諦)が最もすぐれている。・・・」と記されている。
 また、『マハーパリニッパーナ・スートラ(大般涅槃経)』第2章の2にも同様のことが記されている。
 因みに、上記の「仏・法・僧」は後に「三宝」とされる。この「三宝」に帰依する(拠り所にする)ことを入り口として「四諦」と「八正道」を知ることができると記されているが、「三宝」のうち「仏」に関して、釈迦は目覚めた真理を説く指導者としての立場の言説しかないことから、釈迦入滅後、時間が経ってから顕揚されたものと思われる。実際、『マハーパリニッパーナ・スートラ(大般涅槃経)』第6章の1で、臨終のことばとして、師はおられないのだとみなしてはならず、「お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしが制した戒律とが、わたしの死後におけるお前たちの師となるのである。」と明確に述べ、仏として存在し続けるから仏に帰依せよとは述べていない。また、「僧」に関しても、少なくとも初転法輪以降、サンガがある程度を確立した後のことと考えられる。「帰依」に関しても、自らの修行に当たっての拠り所とするということを超えて、全身全霊をもって依存するとか、頼みとして力にすがるというような意味での「帰依」という捉え方は後に出てきたものであろう。

Ⅱ.3.2 四諦・八正道

 四諦(四つの真実)は、①「苦諦」―苦(ドゥッカ)の本質、②「集諦」―苦の生起、③「滅諦」―苦の消滅、④「道諦」―苦の消滅に至る道についての真実である。「八正道」は、「道諦」の内容であり、それは「不苦行」と「不楽行」の中道、菩提樹下での修行に象徴される両極端を排した中道とされている。これらの真実が世界と人間をあるがまま正確に説き、完全な自由、平安、静寂、幸福への道を示すものとされている。それぞれについて、見て行くことにする。
 なお、以下の四諦の理解に関しては、ワールポラ・ラーフラ著の『ブッダが説いたこと』、今枝由郎訳、岩波文庫に多くを依拠している。

  (1) 「苦諦」について
 苦(ドゥッカ)をどのように理解するか、その本質をどのように捉えるかは、仏教の本質的理解を左右する、奥行きの深いものである。一般には苦の真実とは「人生は苦に他ならない」という解釈が為されている。
 『ダンマパダ』第10章「暴力」の第7,8偈(通しNo.135,136)には、「牛飼いが棒をもって牛どもを牧場に駆り立てるように、老いと死とは生きとし生けるものの寿命を駆り立てる。」「しかし愚かな者は、悪い行いをしておきながら、気がつかない。浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる。―火に焼きこがされた人のように。」と記されている。
 また、『ダンマパダ』第11章「老いること」の第1~3偈(通しNo.146~148)には、「何の笑い(喜び)があろうか。何の歓びがあろうか?―世間は常に燃え立っているのに―。汝らは暗黒に覆われている。どうして灯明を求めないのか?」「見よ、粉飾された形体を! (それは)傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。病いに悩み、意欲ばかりが多くて、堅固でなく、安住していない。」「この容色は衰えはてた。病の巣であり、脆くも滅びる。腐敗のかたまりで、やぶれてしまう。生命は死に帰着する。」と記されている。
 しかし、それだけでは不十分な解釈で、誤解を与えるものである。
 「ドゥッカ」という言葉は、苦しみ、痛み、悲しみ、惨めさを意味し、幸福、快適、安楽を意味する「スカ」という言葉に対置されるものであるが、釈迦の説いた「ドゥッカ」はそれに限定されるものでなく、不完全さ、無常、空しさ、実質のなさといったことも、それらが「ドゥッカ」と結びついていることから、それを含めた意味が込められている。例えば、『スッタニパータ』第3「大いなる章」の「12.二種の観察」にある第759,760偈に、「有ると言われる限りの、色かたち、音声、味わい、香り、触れられるもの、考えられるものであって、好ましく愛すべく意に適うもの、―」「それらは実に、神々並びに世人には「安楽」であると一般に認められている。またそれらが滅びる場合には、かれらはそれが「苦しみ」であると等しく認めている。」と記されているように、肉体的・精神的な幸せについて、その存在を認めつつ、しかしそれらは無常であり、それに執着することで結局「ドゥッカ」となることから、それも「ドゥッカ」であるとされている。
 さらに、現象界(世界)及び「私」と仮称されるものを区々別々のものとして捉えるのではなく一体として捉え、それは変化する物的・精神的エネルギーからなる五つの構成要素(「五蘊」)の集合であり、存在するものは五蘊であるとしている。
 「五蘊」とは、①色(ルーパ、対象物)、②受(ヴェーダナー、感覚)、③想(サンニャー、識別)、④行(サムカーラ、意志)、➄識(ヴィッニャーナ、意識)である。
 ①色は、原義的には、地、水、風、火の四大元素とその派生物である物的対象物を指しているが、派生物の意味が広げられて五器官と身体及びその感知対象(思い、考え、概念などの心の感知対象も含まれる)を含むものと考えられており、あらゆる対象物を指すものと考えられる。なお、物的対象物や身体を指す狭義の概念として使われることが多いが、このように広義に解される広がりを持った概念である。
 ②受は、感覚で、眼、耳、鼻、舌、身体及び心(意)の六根による肉体的、心的なすべての感覚が含まれる。なお、その心は、アイデアや考えなどの心的事象を感知する機能・器官であるに過ぎず、精神というものではない。
 ③想は、識別で、六根による六機能が外界と接触することにより生起し、感知したものを識別する。
 ④行は、意志で、心的構築、及び心的行為、意図的行為である。
 ⑤識は、意識で、六つの機能のうちのどれか一つを基礎とし、それらに対応する六つの対象物に対する反応または返答である。意識(視覚意識、・・・心的意識)は、色、受、想、行を手段とし、対象とし、依拠して生起し、喜びを求めて成長し、増大し、発展する。ただし、意識は対象の存在を気づき認識するが、認知はしない。視覚意識は「見る」ということを意味し、内容を識別するものではない。意識は物質と対立関係にある精神と見なされるべきではない。
 これら五蘊及びその集合としての、現象界と「私」と仮称されるものは、関係性の下で条件付けされて生起、すなわち「縁起」(プラティーティヤ(縁によって)・サムトパーダ(生起))するものとして存在するがゆえに、実体として存在するものではなく、無常であり、それ自体がドゥッカ(苦)である。
 『原始仏典 中部経典』の第二八経 「象の足跡と四つの聖なる真実―大象跡喩経」に、「五つの執着の要素は苦しみである。」として、その五つの執着の要素とは、身体(色)、感受(受)、知覚(想)、もろもろの形成力(行)、認識(識)という執着の要素であると説明し、「かれは知る。『このように、じつにこれら五つの執着の要素(=五蘊)の包含、集合、包摂がある。そして世尊はこういわれる。〈縁起を見る者は真理を見る。真理を見る者は縁起を見る〉と。縁って起こったものはこれら五つの執着の要素である。これら五つの執着の要素における欲望、執着、固着、固執が苦しみの生起である。・・・・』と。」と記されている。
 纏めると、「苦」には次の三つの相があるとみることができる。
 ① 普通の意味の苦
 ② 移ろい(永続しないこと)による苦
 ③ 「縁起」(縁によって生起したもの)としての苦

  (2) 「集諦」について
 苦の生起について一般的に良く知られた定義は、渇望がすべての苦しみと生存の継続原因であるというものである。渇望とは、喜び・富・権力欲への執着によって生じるとするのが典型的な理解であるが、それだけでなく考え・意見・理論・信仰に対する欲・執着をも意味する。
 『スッタニパータ』第5「彼岸に至る道の章」の「5.学生メッタグーの質問」にある第1050偈に、「・・・世の中にある種々様々な苦しみは、執着を縁として生起する。」と記されている。
 このように執着・渇望が「苦」の最も明白な直接的原因であるとされるとともに、さらに遡って、渇望は無知から来る誤った自己の考えに起因するものであると説かれている。
 『スッタニパータ』第3「大いなる章」の「12.二種の観察」にある第728偈に、「世間には種々なる苦しみがあるが、それらは生存の素因にもとづいて生起する。実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、くり返し苦しみを受ける。それ故に、知り明らめて、苦しみの生ずる原因を観察し、再生の素因をつくるな。」と記され、その後の散文に、「『どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁って起こるのである』というのが、一つの観察である。『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察である。」と記されている。
 なお、渇望や無知あるいは無明から苦を生じる因果関係が、後に「五支縁起」(渇望→執着→生存→誕生→老死(苦))や、「十二支縁起」(無明→行→識→名色→六処→触→受→妄執→執着→生存→出生→老死(苦))として説明されている。『原始仏典 中部経典』の第十一経 「取著・縁起―小獅子吼経」に、無明→行(意志)→識(識別)→名色→六処(六入)→接触→感受→渇愛→取著(執着)の生起が記されている。ただし、このような説明は形式的な説明に偏していて無理があるように思われ、「五(十二)支縁起」というような「縁起」の理解は観念を実体化した上での形式論理による解釈でしかなく、本質的な理解であるとは思われない。

  (3) 「滅諦」について
 苦の消滅すなわち涅槃の真理である。渇望を消滅させることで、生存が消滅し、苦が消滅する。生まれたことなく、生成したことなく、縁起されたことのないものがある、すなわち縁起によって存在するものではない状態・境地があり、そこに到達し得るという真理があり、これにより苦の消滅が可能となるとする。それは涅槃(ニルヴァーナ)であり、「浄化された平静」の「無限の空間」であり、「内面的に完全に平穏」な境地である。
 苦は渇望により生起し、叡智により消滅することができ、かつ渇望・叡智は五蘊の内に含まれている。釈迦の有名な言葉として、「この背丈大の身体に、世界、世界の生起、世界の消滅、世界の消滅に至る道のすべてがある。」というのがある。涅槃は「賢者が自らの内に体現すべきものである。」ということであり、真実が見えると、幻覚の中で浮かれたようにサムサーラ(輪廻)を継続していたもろもろの力が弱まり、カルマ(業)の形成ができなくなるということである。
 『ダンマパダ』第25章「修行僧」の第15偈(通しNo374)に、「個人存在を構成している諸要素の生起と消滅とを正しく理解するのに従って、その不死(涅槃)のことわりを知り得た人々にとっての喜びと快楽なるものを、かれは体得する。」と記されている。

  (4) 「道諦」について
 苦の消滅に至る道の真理であり、それは極端を排除した中道と呼ばれ、八正道として提示されている。この八正道は通例、智(叡智)と戒(倫理的行動)と定(心的規律)の三学に分類され、
 智―①「正見」:正しい見解
   ②「正思」:正しい思い、考え方
 戒―③「正語」:正しい言葉使い
   ④「正業」:正しい行い
   ⑤「正命」:正しい生活
 定―⑥「正精進」:正しい精進
   ⑦「正念」:正しい自覚
   ⑧「正定」:正しい精神統一
とされている。
 ただ、これでは実質的に分かり難いのでもう少し詳しく見ておく必要がある。
 ①「正見」とは、四諦の真理などの仏の智慧を正しく知ることで、以下の七種の正道によって実現されるものである。
 ②「正思」とは、正しく考え、判断することであり、具体的には世俗的な欲を離れ、憎しみや自己愛無くし、怒りや攻撃心を無くし、邪な思惟を避けることである。
 ③「正語」とは、妄語、無駄話、陰口、粗悪語(粗暴・誹謗中傷)を離れることである。
 ④「正業」とは、殺生、盗み、非梵行を離れることである。
 ⑤「正命」とは、正当な生業をもって生活を営むことで、この命は単なる職業というより
生計としての生き方である。
 ⑥「正精進」とは、「四正勤」と呼ばれる「既不善を断つ」「未不善を生じさせない」「既善を増長する」「未善を生じさせる」の実践に努力することである。
 ⑦「正念」とは、「四念処」に注意を向け、常に気づいた状態(「観」)でいることである。「四念処」とは、「浄・楽・常・我」の四顛倒を退治する修道で、「肉体は不浄である、感受されるものは苦である、心は無常である、物事は無我である」と知ることである。
 ⑧「正定」とは、正しい禅定(「止」)によって集中力(三昧)を実現することである。
 これらをそれぞれ正しく行うことが、「苦」を消滅し、涅槃の境地に至る道であるとされ、これらが釈迦仏教における仏道である。

Ⅱ.3.3 三法印

 「三法印」は、仏教を他の宗教と区別する三つの指標とされているもので、
 ①「諸行無常」
 諸行、すなわちこの世の事象(あらゆる人の行いと事物の現象及びその結果)は、すべて無常である、即ち不変なものはあり得ないということ。
 ②「一切皆苦」
 一切の事象が苦であるということ。
 ③「諸法無我」
 すべてのものごと(ダルマ)は無我であるということ。
の三つの経句、教えが挙げられている。
 ただ、通例では「三法印」としてこれらを単純に列挙することで、それぞれ個別に独立した真理として取り扱われ、初期経典に記載された三句が前提とする全体的な枠組が無視されることで、趣旨が変質し、本当の意味が消失している。
 対応する初期経典の『ダンマパダ』第20章「道」の第5,6,7偈(通しNo.277,278,279)にはそれぞれ次のように記されている。
 ①「「一切の形成されたものは無常である」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。」
 ②「「一切の形成されたものは苦しみである」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。」
 ③「「一切の事物は我ならざるものである」と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。」
 すなわち、明らかな智慧をもつこと、その智慧をもって「一切の形成されたもの(条件付けされて生起(縁起)したもの、縁起によって存在しているもの)は無常であり、一切の形成されたものは苦であり、一切の事物(条件付けされて生起(縁起)した、しないを問わず、より広い意味ですべてのものごと)は我ならざるものである」と観ずること、そのときに人は苦しみから遠ざかり離れると述べられ、これこそが人が清浄になる、涅槃に至る道であると述べられているのである。
 すなわち、涅槃・解脱に至る道は、以上の三点のように観ずることができる明らかな智慧を得ることが要諦であるということであり、言い換えると三点が智慧の内容を示しているとも言える。
 なお、後には、指標として次の「涅槃寂静」が付け加えられて「四法印」とされることもある。
 ④「涅槃寂静」
 仏法は、上の「三法印」を実践的に受け入れることによって絶対平安の境地、時間の流れを越えた真の安らぎを求めるものであり、それが得られるということである。
 さらに、大乗仏教が普遍化すると、この「四法印」から「一切皆苦」を除いて、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」を「三法印」とされることもある。

Ⅱ.3.4 その他の代表的な教え

 以上に説明した基本的な釈迦の教え以外に、釈迦の代表的な言葉・教えとして、次のようなものがある。

 ① 仏教徒(在家)として五つの基本的な戒、即ち五戒(不殺、不盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)を守るべきこと。
 『ダンマパダ』第18章「汚れ」の第12,13偈(通しNo.246,247)に「生きものを殺し、虚言を語り、世間において与えられてないものを取り、他人の妻を犯し、穀酒・果実酒に耽溺する人は、この世において自分の根本を掘りくずす人である。」と記されている。また、『スッタニパータ』第2小なる章の「14.ダンミカ」にある第394~399偈にも同様のことが記されている。

 ② 「智慧」を養うことが重要であること。
 『ダンマパダ』第1章「ひと組づつ」の第11,12偈に、「まことでないものを、まことであると見なし、まことであるものをまことでないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実に達しない。」「まことであるものを、まことであると知り、まことでないものを、まことではないと見なす人は、正しき思いにしたがって、ついに真実に達する。」と記されている。
 また、『ダンマパダ』第7章「真人」の第7偈(通しNo.96)に、「正しい智慧によって解脱して、やすらいに帰した人―そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行いも静かである。」と記されている。
 また、『ダンマパダ』第11章「汚れ」の第7偈(通しNo.152)に、「学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、彼の智慧は増えない。」と記されている。
 また、「無知の知」について、『ダンマパダ』第5章「愚かな人」の第4偈(通しNo.63)に、「もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。」と記されている。

 ③ 智慧が増大するように「身(行動)口(言葉)意(心)」を整え、自己を制御すること。
 『ダンマパダ』第20章「道」の第10偈(通しNo.282)に、「実に心が統一されたならば、豊かな智慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな智慧がほろびる。生ずることとほろびることとのこの二種の道を知って、豊かな智慧が生じるように心をととのえよ。」と記されている。
 また、『ダンマパダ』第25章「修行僧」の第2偈(通しNo.361)に「身について慎しむのは善い。ことばについて慎しむのは善い。心について慎しむのは善い。あらゆることについて慎しむのは善いことである。修行僧はあらゆることがらについて慎しみ、すべての苦しみから脱れる。」と記されている。

 ④ 「平等」であること。人の高貴さはその行いによって決まり、身分の高低によって人生が規定されるのはおかしいということ。
 『スッタニパータ』第1「蛇の章」の「7.賤しい人」にある第142偈に、「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのでもない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」と記されている。
 また、『スッタニパータ』第3「大いなる章」の「4.スンダリカ・バーラドヴァージャ」にある第462偈に、「生れを問うことなかれ。行いを問え。火は実にあらゆる薪から生じる。賤しい家に生まれた人でも、道心堅固であり、恥を知って慎しむならば、高貴の人となる。」と記されている。

 ⑤ 「自己鍛錬」即ち実践が重要であり、教えを語っても実際に自分の問題として取り組まないと何の意味もないということ。
 『ダンマパダ』第1章「ひと組づつ」の第19,20偈に、「たとえためになることを多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。―・・かれは修行者の部類にははいらない。」「たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執着することの無い人は、修行者の部類に入る。」と記されている。

 ⑥ 「自灯明、法灯明」、即ち「本人の努力と仏教の教え」をよりどころとして生きて行くこと。
 『マハーパリニッパーナ・スートラ(大般涅槃経)』第2章の26に、釈迦が最後の旅の途中のベールヴァ村で病にかかられた時、弟子のアーナンダが、釈迦がお亡くなりになったら拠り所がなくなってしまう不安にかられ、その後病から回復されたときに、その旨を述べたのに対して、「自分自身を島(ディーバ=灯明)とし、自分自身を救いのよりどころとし、他人を救いのよりどころとせず、法を島(ディーバ=灯明)とし、法を救いのよりどころとし、他のものを救いのよりどころとしてはならない。」と述べ、さらにそれができるには、身体について身体を観じ、感受について感受を観察し、心について心を観察し、諸々の事象について諸々の事象を観察し、それぞれについて熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いを除くべきである、ということを述べたとされている。

 ⑦ 「四つの理(戒めと精神統一と智慧と無上の解脱)」について。
 『マハーパリニッパーナ・スートラ(大般涅槃経)』の第1章の12、14、18、第2章の4、20、第4章の2~4に、「戒律とはこのようなものである。精神統一とはこのようなものである。智慧とはこのようなものである。戒律とともに修行して完成された精神統一は大いなる果報をもたらし、大いなる功徳がある。精神統一とともに修養された智慧は偉大な果報をもたらし、大いなる果報がある。智慧とともに修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから全く解脱する。」と講話されたと記されている。なお、上記の「解脱」は、束縛、煩悩、苦しみから解放され、静かに安らいでいることを意味し、涅槃と語源的には同じ意味をもつものである。

Ⅱ.4 釈迦が説いた修行(布教)とその組織

 釈迦は、修行は基本的に一個人として行うものであるとしている。『ダンマパダ』第21章「さまざまなこと」の第16偈(通しNo.305)に、「ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。」と記されている。とは言え、その上で志を同じくするものが共同して修行を行うことを勧めている。『ダンマパダ』第23章「象」の第9偈(通しNo.328)に、「もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として歩むことができるならば、あらゆる危機困難に打ち克って、こころ喜び、念いをおちつけて、ともに歩め。」と記されている。
 かくして、出家した人が、悟りの世界に向けて修行を行う場として作られたのが、上下関係のない完全独立制の組織である「サンガ(僧=僧団)」であり、そのサンガでの生活規範として「律」が設けられたのである。なお、最初のサンガは、釈迦本人と最初の五人の弟子の6人であり、3人づつに分かれて交互に托鉢に行き、修行するという体制であった。また、釈迦の拠点となったサンガの一つが祇園精舎である。
 サンガは最大60人を限界とし、それ以上になると解散・分枝して各々独立したサンガを形成することとされ、そのため布教組織が本山に権力が一極集中するような組織になることはない。また、サンガは、仕事や稼ぎは行わず、「托鉢」(施し)のみで生活するという完全依存型組織であり、僧は鉢の中に誰かが入れてくれたもの、又は招待された食事しか食べられない。このサンガと世間の関係では、サンガの中で獲得した境地を話す法話を行うことにより、世間に還元するという相互依存関係が形成されている。
 ところで、『マハーパリニッパーナ・スートラ(大般涅槃経)』第6章の2には、「また、アーナンダよ。いま修行僧たちは、互いに『友よ!』と呼びかけて、つき合っている。しかし、わたしが亡くなったのちには、お前たちはこのようにいってつき合ってはならない。アーナンダよ。年長である修行僧は、新参の修行僧を、名を呼んで、または姓を呼んで、または『友よ!』と呼びかけてつき合うべきである。新参の修行僧は、年長の修行僧を『尊い方よ!』とか『尊者よ!』と呼んでつき合うべきである。」と告げたと記されている。これが、後付けでなく、釈迦の実際のことばであるとすれば、釈迦入滅前にはサンガ内で修行者が全く平等・対等であっても、釈迦に対する尊敬とその絶対的な指導力と権威の下で秩序が維持されてきたが、釈迦自身、自らが入滅した後のサンガの秩序維持に不安を懐いたため、臨終時に上下関係を明確にすることでサンガ内の秩序を保つように指示したものと考えられる。
 また、釈迦入滅後、その遺骸は荼毘に付され、遺骨(仏舎利)は八つに分けられ、それぞれゆかりの地の有力者が九輪(九つの日傘)を有する丸い形の仏塔(ストゥーパ)を建て、その中に仏舎利が納められた。以降、ストゥーパが崇拝されるようになって、釈迦や仏に対する物神化が進むことになった。

Ⅱ.5 釈迦仏教のその他の特徴

 釈迦仏教は、現実世界における汚濁の日常生活を捨てて出家し、その出家の世界で学問、思索、修練などの厳しい修行をすることで、釈迦の到達した智慧である「世界の無常の構造」を理解し、菩提(覚りの世界)に至ることができるとするものである。
 覚りを開いて到達する仏界は、輪廻界である現実世界を超越したものであり、輪廻界の上にあると考えられており、現実世界の理解に関してはバラモン教の輪廻思想をほぼそのまま引き継いでいる。即ち、命ある生き物は宿業によって回転される苦しみに満ちた輪廻の世界に生きているとし、煩悩をはらって覚りの境地(=涅槃)に達しない限り、常に地獄に落ちる恐れがあると解されている。輪廻界は、①天(神々)、②人(人間)、③阿修羅(悪しき神々)、④畜生、⑤餓鬼、⑥地獄の六道とされており、バラモン教の輪廻に比べて③の阿修羅が増えているが、これは仏教がアフガン地域に広まってその地域のゾロアスター教と対立した結果、ゾロアスター教の最高神である修羅を人の下位に貶めて位置付けたものである。
 なお、仏は釈迦のみであって、覚りを開き、涅槃に入った他のものは阿羅漢(羅漢)となる。

Ⅱ.6 釈迦仏教のその後

 BC260年頃になると、釈迦の教えを各々独自に解釈した教義を持つ○○部に分派し、二十いくつの部派仏教が現れる。ただし、部派仏教に分派したとしても儀式や集会をともにする限り「破僧」(サンガ即ち仏教そのものからの離脱・分裂)ではないという決定がマウリア王朝のアショーカ王の下でなされたことで、仏教内の分派として認められ、多数の部派仏教が登場したのである。BC100年頃には、保守派の上座部仏教と進歩派の大衆部仏教に大きく分裂することになった。
 紀元頃になると、大乗仏教が登場する。すなわち、大乗仏教は多数の部派仏教とは異なって長い時間をかけて新たな教義が形成されてきて成立したものである。また、シルクロードが開通したことによって、ガンダーラに阿弥陀世界を描いた石像が現れており、西方浄土の阿弥陀信仰がこの地で誕生したものと考えられる。