Ⅴ. 仏教の教理展開と評価

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Ⅴ. 仏教の教理展開と評価

提起する現代釈迦道においては、それなりの理由があって展開されてきた大乗仏教をただ単に否定して初期の釈迦仏教に戻ればよいというものではない。この立場から、今まで見てきた諸仏教の全体的な教理の展開を跡付け、それらを確認して評価して行くことにする。

Ⅴ.1 インドでの展開

Ⅴ.1.1 釈迦仏教

釈迦が開いた仏教は、人生の苦から脱して涅槃に解脱する道、苦行ではないが出家して世間から離れ、坐禅を中心とする修行を専ら行うことによって、正しい智慧を得て解脱し、涅槃に至るという道を示したものである。その要点は先に述べた「四諦」・「八正道」及び「三法印」にある。
また、出家した僧が修行を行う体制として、修行者集団であるサンガを設立し、サンガの運営・経営方法として、内部的には高い規律をもって修行するための「律」を定め、サンガを経済的に支えるために外部の在家信者からの布施を受け入れるシステムを構築した。在家信者が布施を行う動機は、高度な釈迦の教えを理解し、出家こそできないが、その教えや僧の修行に自らを一体化し、その修行を支えるために布施をするというような高度かつ高邁な意図のもとで行われたというよりも、勿論レアケースとしてそういう例があったかもしれないが、大方は当時の社会状況や衆生の在り様から見て、恐らく現在でも同様であると思われるが、五戒を守って生活しサンガに布施すれば、その果報として現世の幸せと来世の天生を得ることができるということであったと考えられる。インドでは、修行者に布施をする習慣がありかつ良い人に布施すればリターンが大きいという考え方があったため、布施を得るためにもサンガには高い規律が求められたのであろう。
釈迦仏教の教理は、現代社会においても、自らが生きて行く上での問題、実存の問題の解決にとって有効であると思われる。即ち、「苦」を解消するため、というよりも「苦」を生じさせないため、あるいは心の健康を保ち、精神力を高めるために、具体的な方法については別にして、坐禅を中心とした身体技法を用いた精神的な修行を行うことは極めて有効であると考えられる。
また、「苦」の原因は実体のないものに対する執着であるとし、諸法(ものごとの在り様)は無我、諸行(あらゆるものごと)は無常であり、世のものごとには実体が無いという「無」概念を提起している。そして、ものごとが「無我」「無常」である根拠として、それが「縁起」によって現れているものであり、仮に存在しているものだからであるとしている。この教えも、現代においても通じるもので、ほぼ受け入れられるものである。
ただ、「縁起」という言葉自体は殆ど出て来ず、釈迦の言説において「縁起」や「無」の概念が論理的に明確に提示されてはいない。また、釈迦仏教においては、縁起によってものごとを生じさせる構成要素として「五蘊」の存在が提示されている。この「五蘊」の存在については、後の「空」論や「唯識」論では否定されている。しかし、「五蘊」という捉え方は、科学的な知識のない当時としては致し方ないもので時代の限界であり、現代においては「素粒子」の存在や、さらにそれらが「超弦(超ひも、super string)」で構成されているという超弦(超ひも)理論によって、固定的な実体とされるものではないにしても、何らかの現実的な存在としての要素的な存在が認められ、それから「縁起」して現前する世界があるというのが事実であると考えることができ、科学的知見と親和的な世界観の枠組みと言える。
かくして、具体的な知見としては現在では問題があるとしても、基本的な枠組みとしては釈迦仏教の世界観はほぼ受け入れられるものである。
また、出家して修行することによって涅槃に到達(成仏)するということに関しても、有り体に言って、成仏の定義にもよるが、出家して修行しても生きて成仏した人は全く存在しない。そもそも何らかの超越した神秘的な力を持った存在としての仏に成るということは有り得ない。この点は明確にしておく必要があり、釈迦仏教はこのような超越した神秘的な存在を否定するものである。修行で達成することができるのは、物事に動じない精神力を持つとともに、物事に執着しない境地に到達してその状態が安定し、自己の在り様が世界の在り様に適合することであるとするのが妥当である。
一方、釈迦仏教の教理においては、出家してサンガで修行することで涅槃に解脱することができ、衆生はそれをバックアップすることで果報が得られるとするが、衆生を直接的に救う(済度する)という教理は存在しない。釈迦仏教は、バラモン教や沙門宗教の世界の中でそれらが持っていた問題性、共同体を抜け出た商人階層の生きて行く上での心の拠り所がないという問題性を解決する宗教として誕生して大いに受け入れられたが、バラモン教が支配層の宗教から衆生宗教としてのヒンドゥー教へと変転し、また釈迦仏教を支えた商人階層が衰退したことによって、仏教が存在し続けるためには新たに直接的に衆生済度を実現する宗教へと転換することが必然的な要請となり、大乗仏教へと展開することになる。
この大乗仏教への転換を可能にした理論的な根拠は、「空」概念の創出・展開にあった。

Ⅴ.1.2 「空」―『般若経』

『般若経』の成立によって大乗仏教は大きく展開・進展した。『般若経』は、釈迦入滅後の部派仏教の中で、貴族的な学問仏教となっていた「上座部」の伝統的な教義や、そこから分派して最も優勢であった「説一切有部」の教義、即ち主観的な我は空であるが、森羅万象を構成する恒常不滅の基本要素(法体)は三世に渡って実在するということと、苦の原因は煩悩に基づいた業であり、苦を逃れて涅槃の境地を得るには、四諦の研究考察によって智慧を得て煩悩を断ずることであるという教義を、衆生救済の観点から批判するものとして登場したのである。
『般若経』の教理の中で中心にあるのが「空」概念の提示である。「空」概念とは、釈迦仏教における、物事の存在を前提にした上でその「物事に実体は無い」という「無」概念を、「すべての物事(「色」)は、その在り様そのものが、空虚で「空」である」というように、より広い範疇の概念に展開したものである。すべての物事が、「有る」とか「無い」とか言うのではなく、有と無を超えた「空」という在り様をしているということであり、物事に実体的なものが無いのではなく、物事そのものの在り様が空虚であるということである。かくして「色(現実)は空そのものであり、空とは現実(「色」)そのものである」ということになるのである。「万物は「有」と「無」を超えた「空」である」とされる。
また、「空なるもの」、あるいは「空であるということ」は、不生、不滅、不去、不来で、恒常でも、無常でもなく、束縛されても解放されてもいない、清浄(クリア)なものであるとされ、それが「ものごとの本性」であるとされる。
さらに、「空」であるが故に普遍的であり、この「空なるもの」の普遍性の故にそれが真実・真如であるとされ、そこから一転して「空」なる真如を体現した存在が想定されることになる。ここで、衆生を済度するための超越的な存在としての仏の存在へと転化される門扉が開かれたのである。
そうして、この「ものごとの本性」・「真如」に、執着せず、執着する・しないということにも執着せずに従うことで、「智慧の完成」を得、無上にして完全なさとりが得られるとされる。この限りでは、一見「無」が「空」に取って代わっただけで、解脱の基本的な枠組みとしては釈迦仏教と同じであるともみなされるが、釈迦仏教における縁起し実体的な「我」のない自己が修行によって「智慧」を獲得して解脱するということと、「ものごとの本性」・「真如」に従うことで「智慧の完成」・「無上にして完全なさとり」が得られるということの間には、大きな飛躍がある。「真如」に無条件に従うこと、そうすれば「智慧」の獲得を介することなく、直接的に「智慧の完成」即ち「無上にして完全なさとり」に至ることができるとされたのである。
なお、『般若経』では「空」概念は感覚的に提示されただけで、論理的に確立されたものではなかった。そこで、「空」は如何ようにも解することが可能であり、そのために『般若経』においては、その「空」概念が感覚的で神秘的なものや、ヒンドゥー教的な神や、呪術的なものなどと結びつけられ、それらと混在して登場しており、かつそれらは後に密教などの宗派で展開される教義の要素にもなっており、『般若経』は多くの大乗宗派に見られる多様な考え方の萌芽を寄せ集めて成立していたことが伺われる。

Ⅴ.1.3 「仏」―『法華経』

次いで、登場した『法華経』によって、大乗仏教はその基軸が確立して盤石となった。『法華経』は、「仏」を明確に定立し、それを前面に押し立てて、『般若経』において雑多に混在していた種々の大乗的な教義を整理したものであると言える。
『法華経』においては、「空」の世界に広がる虚空の深奥に神秘を感じ取り、諸仏の輝きを見出したとして、積極的かつ明確に「仏」を定立したのである。『般若経』で「空」概念を立てていたことによって、それを介して『法華経』では一転して普遍的でかつ実体的な存在としての「仏」を登場させることができたのである。ただし、実質的に超越的で実体的な「仏」を立てておきながら、教理的にはその「仏」は「空」であるとする、ダブルスタンダードとなっている。
こうして「仏」を立てた上で、その「仏」の慈悲によって衆生が済度され、衆生の誰もが平等に成仏できるという論理立てとなっている。そうしないと三妄執にとらわれているとされている衆生を済度することはできないからである。
かくして、衆生が仏の慈悲を得て済度されるためには、超越的で普遍的な実体でありかつ慈悲のある仏に「帰依」しなければならない。抽象的に定立され思慮の及ばない訳の分からないものでありながら、超越的に実在とされる全知全能の「仏」への自発的な絶対服従が強いられることになっている。

Ⅴ.1.4 「形ある仏」―『般舟三昧経』

「仏」が帰依の対象として定立されると、多くの宗教がそうしているように、「仏」を具体的に思い描いて拝むことが求められるようになり、「形ある仏」が創造されることになる。最初にそれを提示したのは、『般舟三昧経』(仏立三昧の教え)で、精神統一によって仏の姿を現前に見ることを説いている。即ち、『般舟三昧経』では、「空」の思想が見られる一方、三昧によって極楽浄土の阿弥陀仏を現前に見ることが述べられている。阿弥陀仏およびその極楽浄土について言及のある最古の文献とされ、浄土経典の先駆けとされている。なお、「阿弥陀仏の極楽浄土」の起源はゾロアスター教の無量光の世界を取り入れたものと見られている。
また、ここに至って涅槃すなわち死後の世界が、「天国」に対応するような華麗で煌びやかで荘厳な極楽浄土の世界として現れ、あの世の事とは言え、「無」や「空」の世界観とは正反対の世界を登場させたのは、清浄(クリア)である筈の仏教の世界観とは本質的に矛盾している。衆生を仏教に引き付けるためにそうしたということであろう。ただ、現在においても同じように言っているとすれば、違和感を禁じ得ない。
こうして「形ある仏」が登場すれば、それを誰もが見ることができ、信仰の対象とすることができる仏像が作り出されるのは時間の問題であった。それが東西貿易の拠点でギリシャ文化が流入し、作像技術があったガンダーラで現実のものとなり、以降普通に仏像が作られ、信仰の対象となった。

Ⅴ.1.5 中観派―龍樹『中論』

その後、龍樹が『中論』において、「空」概念を論理的・哲学的な概念にしたと言われている。
龍樹が提示した「空」の論理は、あらゆる事象は、心の分別作用によって言語・概念上で区別して認識することで縁起されたものであるとする、「縁起」理解にその核心がある。龍樹の「縁起」には、生起するという意味は含まれず、言語・概念による分別作用からそれによって存在する物事は相互に依存しながら関係して存在するということ、概念の相依性を意味するだけのものにされている。すなわち「縁起」における事象の対象性とその生起ということが完全に否定・捨象された論理だてになっており、世界の在り様とは無縁の単なる観念論であると言わざるを得ない。
そうして、言語で概念的に捉えられたあらゆる事象は、相互に依存・限定し合うことで、相互に支え合って相対的に成立しているだけの、縁起された存在であり、「幻影」のごときもの、「仮名」「仮説」にすぎず、「無自性」であり、その意味で「空」であるとし、縁起→無自性→「空」という論理で「空」を提示している。
また、諸々の因縁から生成したもの(法)は「空」であり、「空」でないもの(法)は無く、したがって「一切皆空」が諸法の実相であるとした。また、ものごとを、心の区別・分別作用によって、例えば「聖なるもの」と「俗なるもの」というように判断するが、それは「空」という点では「不二」であるとする。そうして、この「空」観においては、「八不」(不生不滅、不常不断、不一不異、不来不去)として示すように、有と無の二辺を離れ、いずれか一方に陥らず、「中」(中道)の立場を獲得・護持することを賞揚している。
かくして、龍樹の「空」概念では、言葉で理解されるすべてのもの、因果のもとになる要素自体も存在しないことになり、その結果すべての縁起のつながりも消滅し、また三世(過去・現在・未来)はすべて虚妄であり、実体がないということになる。そうするとすべての事柄、釈迦の教えさえもが「空」となってしまい、相対化してしまうことになる。
そこで、言葉では説明できないが、ただ世界が存在しているということだけは間違いなく、また時の流動、運動はあるが、人間は自然的には把握できないとし、その上で、真実には、言語によって概念的に認識された相対的世界において真実とされる世俗諦と、言葉で表現できない釈迦の「さとり」の真実、非相対的な世界において直接認識された真実である勝義諦(真諦)との二諦があるとし、勝義諦を求めるべきであり、そこで「空」を了知して常(実在)と断(非実在)を離れることで、涅槃へと向かうことができるとしている。
結局、言葉や概念を離れ「空」を了知した最後の段階で、直感的・感覚的にしか得ることができないものとして、「釈迦のさとり」の真実や涅槃が説かれるということになっている。「空」概念を論理的・哲学的に提示しても、その延長上にさとりの真実が説かれるのではなく、「空」を極限まで突き進めたところで、『般若経』と同じく、その「空」概念を放棄して「仏」を迎え入れることになったと言える。ただ、龍樹は当然『法華経』を知っていた筈であるが、「仏」を前面に押し立ててはいない。
また、このような龍樹(中観派)の教義は、「上座部」や「説一切有部」の教理に対峙する中で成立した結果、先鋭化して煩雑で難解なものになってしまって、在家仏教的な初期の大乗仏教を出家仏教にしてしまったという面があると言われている。
一方、このような「空」概念の登場は、現実を「無」であると措定することで否定的に受け取ることから、「無」でも「有」でもないとして「無」と「有」を同格に扱って、現実を肯定的に受け取る道を開いたとも言える。

Ⅴ.1.6 瑜伽行唯識派―世親

龍樹の中観派に対抗した宗派が瑜伽行唯識派である。中観派が「一切皆空」であるとしたのに対して、意識を前面に出して、世界の一切の存在は実在するのでなく、意識の投影に過ぎない、すなわち識知が対象として映出されるのみであって、対象は実在しないという「唯識無境」を提起し、「色心不二」であると主張している。この唯識思想は、元々瑜伽行(坐禅修行・止観)に集中し、瑜伽行によって悟りを得ようとしていた修行者グループによって主張されていたものである。
この唯識思想を、世親が中間派の「空」思想に対抗して理論的に確立したのである。唯識思想は、瑜伽行の中で意識を分析したものであり、前(Ⅳ.2.1)で見たように、「識」には、五感と意識の「六識」と、潜在的な自我意識である「末那識」と、根源的な識で、無限の過去から現在に至る全ての行為の余習が一切の「種子」として貯えられている「阿頼耶識」の八識があるとしている。「阿頼耶識」は、「六識」及び「末那識」を生むがそれらは一刹那で滅することで刹那のみが現在し、かつその一刹那の生の印象が「阿頼耶識」に「種子」として貯えられるという循環を繰り返し、存在し続けるとしている。結局「阿頼耶識」はある意味「アートマン」のようであると言える。ところが、これらの識の存在も最終的には否定され、外界も識も消えて(境識俱泯)、法界を生じるとしている。結局、「空」の場合と同じパターンである。
また、すべての存在は、前にみたように、「偏計所執性」(言葉で語られ執着された存在)、「依他起性」(他に依存して生起した相対的な存在)、「円成実性」(完成された真実のあるがままの存在)の三種の在り様に分類されるという三性説を提示し、修行段階によって存在の在り様が異なるとしている。その修行段階には、五つの階梯があるとされ、そこには菩薩の修行階位を説いた『十地経』(『華厳経』「十地品」)と共通する要素があり、大乗の菩薩行が組み込まれている。こうした瑜伽行の修行により、八識をブッダの智慧である四智(大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)に変換することができ、悟りの境地に到達できるとしている。
瑜伽行唯識派では、このように唯識による世界観とそれが消えて生じる法界と瑜伽行の修行とが結び付けられ、その瑜伽行の修行に大乗仏教としての菩薩行が位置付けられ、修行とその菩薩行による悟りへの実践的な道筋が提示されたと言える。
また、世親は、唯識思想だけでなく、『法華論』や、浄土教の重要な論書である『浄土論(往生論)』などを著しており、大乗仏教のその後の展開の基礎を構築している。

Ⅴ.1.7 「仏=世界」と「菩薩行」―『華厳経』

『華厳経』は前に見たように、4C頃に西域で様々な経典がまとめられて成立したものとされている。
『華厳経』は、全体として悟りの世界とそこにいたる道を説き示したものである。その世界とは盧舎那仏の世界であり、究極の悟りを実現して如来となった釈迦が盧舎那仏であるとされている。また、別の面から、盧舎那仏の世界は、盧舎那仏がかつて菩薩として無数の仏のもとで長い長い時間をかけて限りなく多くの誓願を立てて修行を積んで浄化し、美しく作り上げた世界であり、この盧舎那仏の世界が現実の宇宙・世界の本当の姿であると説かれている。そして、このような悟りの世界にいたる道として菩薩の修行が説かれている。
ここで、その教理展開を少し詳しく見ておくことにする。最初の『華厳経』である『六十華厳』と言われるものは、三十四品から構成されている。龍山章真の見解では、第一、第二品を序文、第三~第八品を文殊菩薩が説法・問答する文殊経典、第九~第二十二品を十地を説く「十地品」を中心とする十地経典、第二十三~第三十三品を整然とは仕上げられていないが普賢菩薩の説法を中心とする普賢経典、第三十四品を決文に分けて、十地経典を核心としてその前後に理論智(空)を説く文殊経典と実践智(菩薩行)を説く普賢経典を連結した構成であるとし、「十地品」が『華厳経』全体の要になっているとしている。
このような全体構成の『華厳経』において、序文の「盧舎那仏品(第二品)」、文殊経典の「浄行品(第七品)」、十地経典の「梵行品(第十二品)」、「十地品(第二十二品)」、普賢経典の「性起品(第三十二品)」、決文の「入法界品(第三十四品)」が重要とされ、有名である。
「盧舎那仏品(第二品)」では、「時間も空間も超越した絶対的な存在としての盧遮那仏」が立てられ、盧遮那仏は分別智を超える宗教的実在であるとされている。この「盧遮那仏」の智慧の光はすべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に「仏」の宇宙は衆生で満たされているとしている。また、「一々の微塵の中に、一切の法界を見る」として、すべての個々の事物・事象の中に一切が含まれるということ、「一即一切・一切即一」であるということがすべての存在の在り様であるという考え方が、事物・空間だけでなく時間についても示されている。この考え方を端緒として、後に「あらゆる存在が互いに関連し合って生起している」という考え方、すなわち「法界縁起」として明確に捉えられる考え方に展開されて行く。ここで、法界とは、現実界そのものと真実・真如の両義を含む概念として、真理の正しいあらわれとしての全宇宙を表現している。
「浄行品(第七品)」では、菩薩が仏・法・僧に帰依すること及びそれぞれにおいて衆生とともに歩むべきことを説く「三帰依文」が有名であり、そのほか菩薩が信心を発して生活する上でいろいろな行動をする際の願い・心の持ち様が説かれている。
「梵行品(第十二品)」では、「初めて心を発す時、すなわち正覚を成ず」として、初めに仏道を信じ、その「絶対信」の中に安住すれば間違いなく正覚を得ることができるとして発心の重要性を説いている。また、初発心の菩薩は仏と同じであり、その後の修行によって進むいずれの境位も仏の境位に等しいと説かれる。そして「無限向上の求道こそ絶対信を証するもの」とし、修行し続けることが要求される。
「十地品(第二十二品)」では、菩薩が行うべき修行の十段階が示されている。
その十地は、仏智を生成し良く住持して動かず、あらゆる衆生を荷負し教化利益する境位である。
 第一歓喜地は、発心して漸く堅固の願を生じた歓びの地
 第二離垢地は、破戒と共に宿さず、汚れを排除して業道すべてに垢れの無い
  地
 第三発光地は、無常の省察によって智慧の光が生じて諸々の仮名を捨てた地
 第四焔慧地は、一心不壊の浄心を得て、正智の光が生じた地
 第五難勝地は、世間の無量の方便神通を生じ、衆生を悟りへ導く方便を身に
  つけ、いかなる魔も打ち勝つことができない地
 第六現前地は、止観を修習して滅を得、広大となる地
 第七遠行地は、刹那ごとに滅尽定に入り、広大の心を以って諸法を善く観じ、
  方便によって妙なる行いを現す地
 第八不動地は、無分別智を得て、自然に仏道に順ずる地
 第九善慧地は、深解脱を得、世間の行に通達し、慧が善となる地
 第十法雲地は、無上の悟りを得て、仏が光明をもって灌頂し、正法の雨が降
る地である。
なお、仏のさとりに至る菩薩の実践として、十地経典には、十住、十行、十回向、十地と仏地の四十一位の段階が示されており、上記十地はその上が仏地となる最後の重要な十段階である。十住は仏の教法を信じて心が真諦の理に安住する位、十行は十住の終に仏子たる印可を得た後、利他の修行を全うして衆生の済度に努める位、十回向は自利・利他のあらゆる行を一切衆生のために回向するとともに、その功徳をもって悟境に到達しようとする位である。
正直なところ、これら十住、十行、十回向、十地は同じようなことの繰り返しで、実践的に徐々に段階が上がって行くということであろうが、具体的に差異が奈辺にあるかはよく分からない。十を単位に数を増やすことで近寄り難く有り難味を増すこと、あるいはありもしない仏地に辿り着くことを不可能にするためかと勘ぐってしまう。
「性起品(第三十二品)」では、如来の生起・出現が説かれ、その中で如来の身は無限にどこにでも現れるとされ、如来が衆生の心地に現在しているとしている。したがって、衆生も本来成仏しており、自性清浄心が備わっていて、それが現起するとしている。この如来・仏の在り様に見られる考え方は、「空」思想に基づいており、そこからありとあらゆるものの完全な平等性が説かれ、それが真実の世界であり、仏の見方であるとされる。
「入法界品(第三十四品)」では、善財童子が種々の修行を経て成長して行く過程が示されている。善財童子が「菩提心(悟りを求める心)」「道心」を持って様々な職業の五十三人に教えを乞うて遍歴し、最後に弥勒、文殊、普賢菩薩を尋ね、そこで楼観の門が開かれた、すなわち不可思議解脱界(悟り)に入って、正覚を得、自在力に達し、無礙の力を具備し、大慈悲心に住するに至ったとされている。
『華厳経』で、そのほかに目についた点は、あらゆる事物の存在に関して、存在は意識が作り出したもの、存在するものは心の表れであるとする唯識的見方が見られ、それを強調されることがある。しかし、その内容は「空」の立場による事物の実体的な存在の否定を認識面から補助的かつ仮に説明したものに過ぎず、『華厳経』においては「空」概念は盧舎那仏の世界として結実していて、唯識派のように「空」の内実を意識で説明することは殆ど意味がなく無用なことである。
また、「正しいさとりを開けば、迷いを脱し、もろもろの煩悩を離れ、一切の迷に執われることがない」と知ることがあれば、それは真実を見る眼を浄めていないとして小乗を否定して、仏の見方に立つ解脱の道を説いている。仏は、すべての法が実在するのではない(無所有)と観察し、法の散滅の相を知っておられると知るならば、その人は速やかに仏となるとし、仏を徹底した「空」の立場に立って見ている。
また、菩薩行について、菩薩としての自覚に立って一歩一歩仏道を歩んでいくこと、衆生が済度されることを常に願うことを行動の基盤とすること、衆生と共に仏・法・僧に帰依すること(三帰依文)が求められ、仏の徳は尽きないというその教えを聞いて喜び、信心を発し、疑いを捨てることで、すみやかに無上の道を完成し、仏と等しい境地に到達すると説いている。
以上のように『華厳経』は全体として盧舎那仏の世界とそこに衆生とともに至る菩薩行を説いたものである。

Ⅴ.2 中国・日本での展開

次に、中国・日本で生み出された各宗派における教理展開を見て行くことにする。

Ⅴ.2.1 三論宗

三論宗は、中国において隋代に吉蔵が開いた宗派であり、インド中観派の祖である龍樹の『中論』(『般若経』の「空」思想を体系付け、「八不中道」の正見を説いた主著)、『十二門論』(「空観」を説いた12章)と、弟子の提婆の『百論』(外道の学説を破斥した百偈)とを所依の経典として大成したもので、空宗とも言われる。
吉蔵は、その『三論玄義』において、仏教以外の外道や小乗、さらに大乗を学びながらもそれに執われている邪見を論破し、龍樹の正当性を説き、三論の教義が究竟無余(完全無欠)であると説いている。そして、邪を破するために正を提示するが、それを達成すれば、正にも執われてはならないとし、諸法の実相は言忘慮絶である、すなわち言葉も分別も超えていると言い、それにより正理を悟って正観を発生し、苦が滅するとし、これが三論の根本趣旨であるとしている。
このように三論宗は教理的には龍樹の「空」の範疇に収まるものである。

Ⅴ.2.2 法相宗

法相宗は、中国において唐代に慈恩によって瑜伽行唯識派の思想に基づいて開かれた宗派であり、教理的には瑜伽行唯識派の教理の範疇に収まるものである。
すなわち、唯識の考え方は所詮認識に関する観念的な議論であり、最終段階でそれらを空にし、空観をもって瑜伽行を行うことで涅槃に至るということであり、瑜伽行の内容とその菩薩行の実践が大乗としての要になっている。

Ⅴ.2.3 華厳宗

華厳宗は、中国において『華厳経』を所依の経典として南北朝時代に杜順を初祖として開かれ、唐代後期まで展開された宗派であり、禅宗の隆盛によって衰退している。この中国において大きく展開した華厳宗の教理を少し詳しく見て行くことにする。
 (1) 中国での華厳宗の成立
この『華厳経』が伝えられた中国では、北周の武帝(560-578)が建徳年間(572-578)に仏教及び道教の弾圧を行い、仏教・道教の寺院だけでなく、古典に書いていない儒教の社も破壊し、僧を還俗させている。これは、華北統一に向かうに当たって、軍事的には軍から離脱して出家しているものを軍に徴発し、寺院の財産を没収して経済財政に活用するとともに、仏教・道教・儒教間での諍いによって国内の纏まりが取れない状況を解消することを意図したものであり、一方、宗祖は偉大として認め、その教えを永遠に残し伝えるべきであるとして「通道観」という施設を新設して僧ではなく官吏として研究をさせ、また、僧はいらない、国民全体を僧とすればよいとして、平等大寺、平延大寺を作っている。その効果があってか、577年には華北の統一を果たしている。しかし、北周は武帝の死後内訌によって急激に衰退し、581年には隋に禅譲している。隋の創業者は、国民の仏教の復興を願う感情を受けて仏教の復興に着手している。この様な廃仏を経て、中国社会は現実の中に真実を見るという「即事而真」思想が主流の現実主義的な状況下にあった。
また、南北朝から唐にかけて、『華厳経』を中心として世俗信者が組織した華厳斎が諸所で生まれ、『華厳経』を読誦する斎会が開かれるようになり、さらに僧俗一体となった大規模な斎会が開かれるという状況があった。
そうした中で、杜順(577-640)によって華厳宗が開かれた。それは、『十地経論』(『華厳経』に「十地品」として取り込まれている『十地経』の唯識派の世親による注釈書)に基づいた宗派である地論宗を原点にし、『華厳経』を所依の経典として開かれたものである。
第2祖の智儼は、『華厳経』の注釈書である『華厳経捜玄記』を著し、華厳経の注釈学と唯識学を統合し、華厳教学を創始した。法蔵は『捜玄記』の内容を、「別教一乗無尽縁起」にあると要約している。ただ、智儼においては、華厳の「別教一乗」を法華経などの「同教一乗」と対等なものとしており、これは法蔵が後に否定している。また、智儼は『捜玄記』のすぐ後に『一乗十玄門』を著して法界縁起の「十玄門」を説いている。法蔵は『五教章』ではそれを継承していたが、後に『探玄記』で新たな「十玄門」を説いている。前者を古「十玄門」、後者を新「十玄門」として区別しているが、両者は、新「十玄門」では唯識的な項目が外されているだけで、全体としては殆ど同じである。また、智儼は、事に即して真理を具する、完全なる真は事に即さなければならないという「即事備真」を説き、後の真言密教で言われる、事・現象がそのまま真であるという「即事而真」への端緒を開いている。
 (2) 法蔵
華厳宗は、第3祖の法蔵(643-712)によってその教義が体系化されて確立したと言われている。法蔵は、『華厳経』における「一即一切」を、現世の絶対的肯定を前提とした上で論拠づけるため、華厳独自の「無尽縁起」によって華厳思想の中核である「法界縁起」の考え方を大成させたとされている。すなわち、すべての事物の存在の在り様について、「相即相入」して相互に関係し合うという関係が無限に重なり合って、「融通無碍」に展開しているとする「重々無尽の縁起」、「一多融即」という「無尽縁起」の考え方によって現実の絶対肯定を説き、華厳こそ真に絶対の一乗であるとした。
それでも、法蔵の「法界縁起」においては「事が理のように無礙になる」とは言っても、「事と事が無礙」とは言われていず、澄観のように、「事々無礙」をストレートに提示するには至っていない。それは、事が無礙であるのは事に摂された理の無際限性による、すなわち理事無礙を前提として成立するという考え方に止まっていたためである。
さらに、法蔵の「法界縁起」の世界観は、二つの意味を持ったものを微妙に融合させた状態に止まっている。すなわち、法界を、何れも真如とする理と事に関係させる立場と、因果・縁起と関連させて解釈する立場の二つの立場があり、そこで理事も縁起も「無自性」(空性)であるということを媒介にして両者を無二であるとし、法界を無分別智の世界とすることで両者を融合したのである。その結果、「一心法界」「一真法界」「法界即一心」というような考え方、すべて仏性の現れであるとする「仏性現起」の考え方、「無尽縁起」の背後に仏の存在を想定する考え方が提示されるのである。
法蔵は、このような「法界縁起」を基準にして、『華厳五教章(華厳一乗義分斉章)』で、仏教諸派を、1. 小乗教(アビダルマ)、2. 大乗始教(空観や唯識)、3. 大乗終教(仏性や如来蔵)、4. 頓教(言語を離れ、一超直入を説く禅宗の教え)、5. 円教(華厳別教一乗)に分類し、華厳宗を明確に最上位に位置付ける判定を行い、第2祖智儼の同教一乗(法華経などの他の一乗大乗)と別教一乗の対等性を否定した。
「法界縁起」の様相については、『華厳経探玄記』において示された新「十玄門」(十の奥深い『華厳経』の法門、すなわち法界縁起を十の視点から説明したもの)に示されている。それは、前後・始終・順逆がありかつ相互に交り合いながら雑乱ない縁起の実相を現しており、一の中に多があるが一は多に非ず、一即一切、一切即一にして円融自在無礙であり、微塵の中に一切があるという関係の下で相互に結びついた重々無尽の関係にあり、事々物々の表裏が変幻自在に相互に関係し合っており、遍法界がその分位を保ちながら無分の法界と無礙無障の関係を保っており、主と伴、伴と主の関係の下で円明具徳であり、事法(「事々物々」)すなわち様々な事物そのものが真理を教えている、などである。その中では特に「一即一切、一切即一にして円融自在無礙」という「諸法相即自在門」が重要である。
このように法蔵は、別教一乗、重々無尽の法界縁起の構築に努めたと言えるが、そこでは自体法界(世界の現実相そのままが真実そのもの)の確信と、無性縁成(物事に実体性はなく縁によってそのように有らしめられている)の論理が中核となっている。
 (3) 澄観
第4祖の澄観(738-839)になって、「法界縁起」はさらに展開され、『華厳経疏』において、世界の「重々無尽の縁起」の在り様を、見方の深さによって四つに区分する「四種法界」(事法界、理法界、理事無礙法界、事々無礙法界)の考え方が提示された。
「事法界」は、全ての事物を個々に存在するものとして把握し、世界を事としての差別的現象界として見るもので、凡人の普通の見方である。
「理法界」は、全てのものに実体はなく空であり、全ての事物の本体は真如であると把握し、世界を理としての平等の本体界として見るものである。
「理事無礙法界」は、空であるという理と具体的な物事とが妨げ合わず共存しており、現象界と本体界は相互に円融して一体不二で、眼前の現象の世界と真如の世界は同一であるとする見方である。
「事々無礙法界」は、全ての事物は互いに縁起し合う存在であり、空であるという理が姿を消し、現象界の事物は因縁の連鎖でとけあっていて滞りがなく、一切の物事が妨げ合わずに共存し、世界は事象・事物がそのままで相互に交流し融合する真実の世界であるとする見方である。
なお、事々無礙が成立するためには、理事通融であることを前提とし、理の法性融通によって事と事が無礙になり得るのであり、事々無礙は理事無礙を前提としているという理解もある。しかし、理事無礙は理と事に分けて了解しているのに対して、事々無礙では事自体が法性融通を具えたものと理解し、事と理に分けて対置して捉えることを超えたもので、同じ「事」を使ってはいても一段階上がった地平での「事」であって、例えば「有」と「無」の対置を超えた「空」の在り方に対応するものと理解すべきであろう。ただ、これは現代だから言えることで、澄観の説明は箇所箇所で多義に解釈可能であり、一概に決めつけることはできないが、「事々無礙」と明確に提示したことで、このような理解に向けて展開する端緒を開いたことは確かである。
また、四種法界観は、杜順の著述とされている『法界観門』の影響を受けて成立したとも言われている。しかし、まず澄観自らがそのように言っているとしても、中に法蔵の記述を引いた文があるのと、杜順には『法界観門』の下地となるような著作がなく、いきなりそのような内容の著述をするのは解せず、法蔵以降、澄観以前の誰かの著述とするしかない。
『法界観門』は、法界を華厳はどのように観ずるかという観法を説いたもので、「真空第一」、「理事無礙第二」、「周遍含容第三」の三重観門である。観法として、まず最初に「真空」すなわち空観を、次いで「理事無礙」すなわち理と事の相即無礙の融和を、最後に「周遍含容」すなわち事と事の融和を観ずるというものであり、これによって事事無礙法界の境に入るとしている。観法という視点から四種法界の最初の事法界を含めなかったと考えればほぼ同じであると言える。「周遍含容」が「事々無礙」と同じことを意味しているということは澄観自身が指摘していることである。
この「事々無礙法界」という世界の見方こそが、最も高位の華厳の世界観である「法界縁起」であり、それは法蔵の「法界縁起」の主旨を突き進めたものであると言える。
しかし、さらに「事々無礙法界」とは、仏の智慧から見られている事法界であり、仏の智慧により可能となっている、即ち「事々無礙法界」という理解にはその奥に仏の存在が前提としてあるというように理解されることが多い。この「仏」と「法界縁起」の考え方は、すべてのものは因縁によって成り立っているという認識と、その因縁は仮のもので本性は「空」であるとする考え方とが根底にあり、その「空」の奥に「仏」を見ることができるという大乗仏教の基本的枠組みで捉えられたものと言える。しかし、そのような仏を介在させず、それが世界の在り様であるとする理解を採用するのが妥当であろう。
 (4) 宗密
第五祖の宗密(780-841)になると、華厳宗も大きく転換して教禅一致ということが提起される。その背景には、恐らくは華厳宗の教義が前の澄観の時代に行き着くところまで行くとともに、その教義がごたごたした論理や理屈であるとともに実践行が見えない故に広い支持を失ってしまい、一方前の澄観やこの宗密の時代は、玄宗の時代で、道教や密教が盛んな中で、禅が活動し始めた時代であるということがある。
禅は、途絶する北宗禅の神秀、及び南宗禅の慧能やその弟子の懐譲・行思・神会、また懐譲の弟子の馬祖などが活躍した時代で、馬祖は臨済宗の臨済玄義につながり、行思は曹洞宗の洞山良介につながり、神会は途絶するが馬祖禅に対する対抗意識を持って荷沢禅を提唱していた。
宗密は、儒教から禅に入り、その後澄観に出会って華厳宗に入った人であり、華厳宗の教義を基盤にして宣揚した『円覚経』の立場と、神会の荷沢禅(神秀の漸修禅に対して慧能の頓悟禅を説く)の体験の立場とを、教と禅との一致という立場から統一しようとしたもので、華厳教は実践仏教となれば、自ずから荷沢禅へと移行する必然性をもったものと観ていたと見られる。なお、『円覚経』は8Cに中国に出現した経典で、大乗一乗円頓(円満頓速―全ての物事を円に具え、たちどころに悟りに至ること、完全な悟りを直ちに実現すること。)の教理と観行の実践を説くもので、禅宗などで多く用いられたものであり、天台の本覚思想の理論的根拠にもなったとされている。
宗密は、『華厳経』の「心仏及衆生、是三無差別」や「初発心時、便成正覚」が、「如来蔵・仏性」思想や「衆生本来成仏」に連続するとし、「本来成仏」であることから、悟りの獲得に障碍となるすべての存在・現象の本質を「幻」と規定し、「幻」なることを知覚することが「幻」を離れること、すなわち「覚」であるとし、段階的な修行は必要ではないとして、自己の本来性(円覚)に目覚める頓悟を基本的な立場としている。その上で、真理を隠蔽する要素を除去するのに漸修的な具体的修行道を認めて融合を図り、「円覚」の成就に頓悟と漸修の道を認める頓悟漸修的教説を取っている。
このように華厳宗が実践行で禅宗との統一を図るようになったことについて、華厳宗側では、禅宗で「行そのもの中に如実に真実のすべてが具現する」と言っても、その内容についての教義がなく、禅の修行を行う裏には華厳の思想・世界観が生きているとする。一方、禅宗側では、華厳の世界観は、禅的な深い瞑想の世界を前提にし、そこに現れてくる真実のあり方が華厳の世界観であり、華厳の世界は禅定における瞑想的な世界の内景であるとする。この両者については、何れかを択一するというよなものではなく、華厳の世界は禅定によって体得されるものであるとともに、禅定はその華厳の世界に悟入する修行として行うもので、相互的なものであると言って良いであろう。
禅宗側では、さらに坐禅修行の中で四法界の領域が消滅してそこに禅の世界が開けるとして、禅の世界は事々無礙法界の上にあると位置づけ、華厳宗は教義的な枠組みを脱していないと批判する。しかし、華厳宗の現状批判としては当たっているとしても、禅の世界が華厳の世界の上にあるというようなことは実質的な内容がなく、無意味な立言であろう。
なお、中国の華厳宗は、宗密によってこのような形で中興されるが、その後禅宗の勃興に押されて衰亡し、宋代に一時復興してもその後衰微した。また、日本への華厳宗の伝来に関しては、杜順に華厳教学を学び智儼の弟子であった義湘によって新羅で東海華厳宗が開かれており、その新羅の学僧の審祥が中国に渡って法蔵に学び、この審祥が天平年間に来日して日本に華厳宗を伝来しており、智儼から法蔵の華厳教学がもたらされたものと考えられる。

Ⅴ.2.4 天台宗

天台宗は、前(Ⅳ.2.3)に述べ、繰り返しになるが、中国で隋代に『法華経』を根本経典として智顗(538-597)によって実質的に開かれた宗派であり、『法華経』と『般若経』と『大智度論』、及び『涅槃経』に基づいて教義が組み立てられている。智顗は修行法として『摩訶止観』で「止観」を提示し、止観によって仏になることを説いている。
天台宗は、衆生を救うという大乗仏教の趣旨から、衆生の捉え方について、その本性においては仏性を持っている、如来を内部に宿しているとする「如来蔵」の考え方をとっており、それで止観によって仏になることが担保されている。ただ、『法華経』自体では、衆生は仏の子供で、その遺伝子を持っており、『法華経』を聞けば成仏しないということはないとしながらも、仏であるとか仏を宿しているということは言っていない。
日本での展開は、前に見たように最澄が入唐して天台教学、禅、密教(雑密)を学んで持ち帰り、その後円仁、円珍によって本格的に密教が取り込まれることで、『法華経』を中心として浄土教や禅、密教を包含した大乗仏教の総合的な宗派となる。そして、悟りに至る修行についても、坐禅、念仏、護摩行、巡礼等々、何でも有りとされている。
また、後になると、現実の世界が仏の世界であり、とりたてての修行は必要でなく、別に求めるべき悟りはないとする天台本覚思想が採られるようになる。
結局、総合的な大乗宗派としての鷹揚な在り様のために、世間的に常識的で大乗的ではあるが、何が核としてあるのか分からないというのが実情である。現状は「一隅を照らす運動」に力を入れている。
かくして、天台宗そのものに関しては、仏教全体の教理展開において「如来蔵」と「止観」以外に特記すべき点はないと言える。

Ⅴ.2.5 真言宗

真言宗は密教の一宗派である。密教自体は、インドにおいてバラモン教に代わってヒンドゥー教が隆盛するのに伴って初期仏教が衰退したことに対応する仏教の一変革として登場した。初期密教は、ヒンドゥー教に対抗して、真言・陀羅尼を唱えることで現世利益が得られるとするものであった。このような初期密教をベースとして、その後『大日経』や『金剛頂経』が成立して密教の世界観を表した曼荼羅が誕生し、成仏を意図した密教が成立してその理論化・体系化が成された。
これらの密教系経典が唐代の中国に伝えられて中国密教が確立され、護国思想と結びつけることで王室の帰依を得て最盛期を迎えた。しかし、中国密教は唐の衰退とともに教勢も弱まって行った。
この中国密教を、前に述べたように空海が入唐して日本にもたらし、空海によって即身成仏と鎮護国家を二大命題とする真言密教が確立された。真言密教の教義は、大日如来という宇宙的で絶対的な仏と、その仏の慈悲によって成仏するために印契を結んで真言(マントラ)を唱えるという呪術的な所作とを組み合わせたものである。ただ、密教ということの故に、最終的に即身成仏できるという肝心の修行については秘密とされている。尤も、言語で表現できるものではないと言われれば、絶対的に理解不能とは必ずしも言えないとしても、まさに秘密にすることによって神秘的な近寄りがたい偉大さを示そうとするもので、現代から未来に向けて通用するものではないと言わざるを得ず、本来の仏教の在り様や現代の仏道には何の参考にもならない。

Ⅴ.2.6 浄土宗

浄土宗は、天台宗の中から法然が新たに開いた宗派で、その教理は阿弥陀仏を本尊とし、阿弥陀仏に対する帰依のもとで「称名念仏」を行うことによって、もしくは「称名念仏」を行うだけでも、極楽浄土に行くことができるとするものである。
開宗した時点では、腐敗した天台宗の中で、何としても衆生を救うための教えを確立しなければならないという志のもとで開かれた有為の教えであったのであろうが、衆生は、穢れた世にあって、三妄執(貪欲・いかり・疑)にとらわれている者という捉え方を前提にしており、本当はそうではないにしても、ある意味、衆生の知性や精神性の高さや自らを律する倫理的能力を認めていない、衆生の能力を認めていない教えであるとも言える。少なくとも現代の仏道にはあまり参考になる点のない宗派である。

Ⅴ.2.7 浄土真宗

浄土真宗は、法然を師と仰ぐ親鸞によって開かれた宗派で、基本的に浄土宗と同じであるが、他力本願、即ち阿弥陀仏に対する絶対的な信仰・帰依をより強く求め、「称名念仏」のみによって極楽浄土に行くことができるとしている。その中で、出家と在家の差を強く認めていない点で、評価される。

Ⅴ.2.8 日蓮宗

日蓮宗は、日蓮によって天台宗の根本経典である『法華経』を所依の経典とする宗派で、所依という以上に、『法華経』自体にそう書かれているように『法華経』自体を仏として崇め、「経」の名前、即ち「題目」それ自体が神秘的な神通力を持っているとしており、「題目」を唱えることで、現世利益が得られるとともに来世で成仏ができるとしており、典型的な大乗仏教の在り様を示している。

Ⅴ.2.9 禅宗

「禅」自体は、インドにおいて釈迦仏教以前から沙門宗教の修行者によって、汚れを取り除き「我」を見出すために行われていた修行法の一つであった。釈迦仏教では、沙門宗教に見られた苦行が否定され、「無常・無我」の智慧をもって禅定(坐禅)を行うことで正覚を得、悟りに至る修行法として確立された。その禅定は釈迦から迦葉に伝えられ、以降連綿と伝承されてきたとされているが、大乗仏教の「空観」に基づいて展開された坐禅が形成されていて、それが達磨によって南北朝時代の中国にもたらされ、禅宗が開かれたと想定される。すなわち、達磨禅は、それまでに中国に伝来していた禅が、「無常」と「無我」を了知する智慧をもって修行者が自己の悟りのために行う禅定であったのに対して、大乗仏教の『般若経』の「空観」に基づいた禅で、「知」を否定し「自己」を消去する新たな禅であったと考えられる。
達磨の教理を示すものとして、敦煌本の『二入四行論』が知られている。それは一見して雑記帳であるが、「空観」の論理が一貫して認められている。その「二入」とは理入と行入であり、行入とは四行であると述べられている。
理入とは、経典によって道の大本・根本義を知り、人はすべて凡も聖も平等に真実の本性を持ち、「自性清浄」であることを確信する、その智慧をもって道に入り、坐禅するという教えである。その坐禅においては「壁観」が要とされている。「壁観」とは、人は「自性清浄」であるから、作為をおいて無為に入ることで妄をすてて真に帰り、自も他も、凡も聖も一体であるという真実に堅く住し、「不動(汚染や作為の入らぬ寄り付かぬ)の壁」となって観ずるという意味である。「空」観に基づいた「真実」の「不動の壁」となって観ずることによって、「真妄一体の仏の世界」が確信されるとするものである。因みに、面壁する坐禅は、この壁観を実践するのに最も適合した形態・様式であるということであろう。
このように達磨禅では、理入、即ち悟りに向かう道に入るためには智慧が必要であるとしている。ただ、智慧をもって道心を起こすとは言え、「空」観に基づかない「分別知」を智慧とすることを戒めている。
次に、行入、即ちその内容である四行とは、日常生活において行うべき修行の在り様を示している。四行の内容は、
 ①報怨行―苦は過去に他に怨憎の心を起こして人々を損なったという悪行の果であって、甘心忍受して人を怨まずに道に進むこと、
 ②随縁行―人間は無我で因縁の力で動いているに過ぎないので、縁にまかせ、心を増減させずに、道と一つになって行ずること、
 ③無所求行―苦の原因となる、求めるところ(欲求、貪り)を無くし、無為・無心になることで、執着なくそのままで楽しく道を行ずること、
 ④称法行―「本来清浄」の理、自我という穢れを出ている法を体得して法の如く生きること、具体的には六度(六波羅蜜)の布施行を実践して穢れをとって菩提の光を輝かせることであり、他の五度(波羅蜜)も同様であり、六度(六波羅蜜)の実践を行いかつその実践のあとを残さないように行じること、
である。
この四行は、初期仏教における「苦」、「無我」を、因果、因縁によるものと解し、大乗仏教における空観や「理」に基づいて自利利他の菩薩行を実践することを説いている。
かくして「二入四行」とは、「理入」の坐禅行と、その成果に基づいた「行入」即ち「四行」の菩薩行とを意味しており、達磨禅は両者を合わせて禅修行の総体とし、それを絶えず繰り返し行うことを禅の修行としていると解することができる。
達磨を初祖として成立したこの中国禅は、代々継承され、五祖弘忍のときに神秀と慧能が後継候補として上がり、慧能が六祖となった。
神秀は、優秀なエリートで後継の最有力であったが、その教理は悟りを明鏡と塵埃の関係として捉え、修行を積み重ねて塵埃を除去して行くことによって漸次明鏡即ち悟りに至るとする漸悟を標榜する北宗禅の担い手であった。神秀の禅は、南宗禅の荷沢神会によると「心を凝して瞑想し、心を落ち着けて静けさを保ち、心をかまえて外を制し、心をおさめて内に悟りを求める」という愚者の教えであり、大乗仏教の教理である、心は内にも外にも向けず、単刀直入に見性(自分自身の本性である「仏になるべき性質」に目覚めること)しおおせるということが分かっていないと論断している。
結局、北宗禅は、中国禅の中で達磨以前の伝統的な禅の思想が継続していて、その影響を受けて伝統的な傾向が復古してきていた結果、主流となりつつあったものと考えられる。
慧能は、貧民の出で無学で下働きをしていたが、ものごとを的確に把握する能力が高く、後継となるのに必須である大乗的な禅の教理把握が的確であることが明らかになる事案があって弘忍の目に留まり、六祖とされた。慧能は、坐禅の「坐」は外に一切の善悪の境に接して念の起こらざること、「禅」は内に自性を見て動かざることとしており、知的分別を放棄し、真如の体験的把握によって見性し、仏道を成じるという頓悟を標榜する南宗禅の担い手となった。
慧能の南宗禅を支えたのは、七祖とされる荷沢神会、青原行思―石頭希遷の系譜、南獄懐譲―馬祖道一―百丈懐海の系譜などの人々であり、各々独自に展開して行った。
荷沢神会は、神秀の北宗禅に対する批判を徹底して行って南宗禅を擁護する一方、同じ南宗禅の馬祖道一と対立し、その後途絶した。なお、荷沢神会は華厳宗の宗密に影響を与えている。
荷沢神会の教理は、衆生も「心」は清浄であるが、「見聞知覚」を本心と妄信し、それにおおわれてしまっているので、別に探すのではなく、無心になることによって「心」が姿を現じるとし、「清浄」即ち「空」であり「普遍」である「心」は、自然に大知の光があり、十方のすみずみまで照して障礙がなく無限の世界をうつすとする。
かくして、荷沢神会の坐禅は、坐=「無念」と、禅=「見性」の二本柱とし、「無念」とは心に妄念が起こらないことであり、「見性」とは「本来の自性」、自分自身の本性を見極めることであり、この「本来の自性」にはつねに「知」が働いていて、その根本的な知、「自然知」が本来の自性を自覚する、すなわち自性が自性を見るということである。また、自性とは寂静であり、仏になるべき性質であるとしている。こうして、坐禅によって、自分に備わっている仏になるべき性質を見極めて悟りの境地に達する、すなわち「見性成仏」するとしている。
また、先の神秀の心に対して、心は不動とし、その不動心の本質が「知」であり、「知」は見聞覚知をそれたらしめる知であるとしている。
青原行思―石頭希遷の系譜は、洞山良介に連なって曹洞宗を生み出した。
曹洞宗は、洞山良介とその弟子曹山本寂を祖とし、両者の名を合わせて曹洞宗と呼ばれるようになったもので、その教理は「万物皆虚幻、万法本源為仏性」ということであり、曹洞宗の坐禅修行は、「本来の面目(自己がもっている人為を加えない心性)を見る」こと、そのために自己を律し、実践することとされている。
曹洞宗は、その後宏智正覚が、公案を工夫して見性に至るとする看話禅に対して、黙照禅(専ら坐禅し、無念無想となることを修行する禅)を提唱し、さらに後に天童如浄は、禅の世俗化に対抗する姿勢を示して名利を超越し、教義的には「心塵脱落」を説いている。大きくは、神会の教理の流れにあると見てよいように思われるが、「見性成仏」の「成仏」を「作仏」と解すると、必ずしもそうとは言えない。
南獄懐譲―馬祖道一―百丈懐海の系譜は臨済義玄に連なって臨済宗を生み出した。
南獄懐譲は、仏道修行において坐禅による「作仏」を否定し、そこからさらに坐禅の特別視を解放して日常生活全般を仏道修行とした。
馬祖道一は、神会が心の本質は根本的な知であるとしたのに対して、その知を虚空とし、見聞知覚に意味を持たせて根底的な原理とする。心の作用について「作用即性」として、「心を起こし念を動かし云々するのがすべて仏性の活動そのもの」、「することなすことすべて仏性の活動そのもの」、「日用のすべて心の本質ならぬはない。」と説き、また「平常心是道」として、「平常心がそのまま道である。」、「道は修めるまでもない。汚さねばよいのだ。」、「心で造作し、行為することはすべて汚れだ。」と説き、また「即心是仏」として、外に仏を求めることを否定して「心に仏性が備わっており、ありのままの心こそが仏である。」と説いている。
このような馬祖禅の「ありのまま」という教理によって禅宗の大衆化がもたらされる一方、修行を否定するような理解を生じて禅宗における退廃傾向をもたらす原因となった。また、馬祖禅に対して荷沢神会は強く反発したが、馬祖禅が人気を博して主流となって荷沢禅は途絶することとなった。
百丈懐海は、馬祖禅による緩みを正すべく、現在は内容不明ながら「百丈清規」を定めて禅林の規矩を確立するとともに、「一日作さざれば、一日食さず」と言って「作務」を修行として位置付け、生産活動を肯定した。
その後、このような流れをふまえて、臨済義玄が、仏法とは「平常無事」なるのみであるとし、「随処作主 立処皆真」、「直指人心(師が弟子に「即身是仏」という事実を指し示す)」という教理の臨済宗を開いた。そして「仏を殺し、祖を殺してはじめて解脱することができる。」と言い、また臨済自身が師の黄檗希運による「黄檗三打」によって大悟したことから、「喝―ツ」と一喝して、「こだわり」に気づかせ、大悟させるということを実践している。
臨済宗は、その後揚岐方会の揚岐派と黄龍慈南の黄龍派に分派し、さらにその後、揚岐派の大慧宗杲が、臨済宗の特徴的な「見性悟道」として、公案を工夫して見性に至る「看話禅」を確立した。
中国禅は、以上の達磨禅から南宗禅への流れによって、北宗禅のように塵埃を取り除く修行によって悟りに至るということが否定され、また達磨禅には見られていた道に入るときに智慧に基づくということが無くなり、仏性の認識に違いはあっても総体的に見て、自性が清浄(仏性を有する)であるから、思量せず、「無心」=「無所住」になることによって、自然に自性を現し、大智の光が無限の世界をうつして悟りが得られるという教理となり、同じく達磨禅には見られた行入、すなわち菩薩行についても、作務が修行として位置付けられ、さらには日常生活そのものが修行であるとされるに至ったことによってか、教理的に見て菩薩行は禅修行の背後に追いやられているというのが現実である。
日本には、入唐した栄西によって黄龍派の禅が伝達され、臨済宗として展開する。臨済宗においては、衆生はその本性においては仏性を持っているとし、元々仏性を持っているのであるから座禅修行によって心身を清浄にすることによって成仏ができるというのが基本的な考え方である。因みに、臨済宗における「成仏」とは「仏性」なるものが顕現して有効に活用されている状態を言い、仏性を開発し、自由自在に発揮することで、苦に煩わされることなく、他の衆生の苦しみも救っていける境涯を開くことであるとされる。
また、入唐した道元が、如浄に会ってやっと求めていた本来の正法としての禅に出会ったとして師事し、帰国して日本の曹洞宗として自らの道元禅を確立した。公案を工夫するのではなくただ坐る「只管打坐」を修すること、さらにその修の結果として証(悟り)が得られるのではなく、修(坐禅)そのものが仏としての行(行仏)であるという「修証一等」を説き、成仏するのではなく身心が万法(世界の在り様)と一体となる「身心脱落」などの教理を説いている。ただ、修行の最終段階においては如来の慈悲にすがることで成仏できる、若しくはすがらなければ成仏はできないと考えられている場合も見受けられるようである。
現代の「仏道」、即ち現代釈迦道においては、曹洞宗、特に道元禅に同調し、「仏」自体や「作仏(仏になる)」ということには関知せず拒否し、「仏性なるもの」は元々存在せず、それを前提にした「成仏」は無いものと思い定め、「現に坐禅していること自体が仏である」というよりも、「修証一等(修行そのものが悟りである)」とし、坐禅によって「悟りの境地」を体現し、体現した境地を日常生活で菩薩行として実践して行くという修行方法が妥当であると考えられる。

Ⅴ.3 総括、課題と展望

まず、釈迦仏教では、「苦」というのは、人生において現在意識しているか、意識していないかに拘わらず受けざるを得ないものであるとする。というのは、世界のあらゆるものごとは縁起したものであり、縁起したものであるということは不変の実体というものがなく、無常であるということであり、そのようなものごとに執着することが「苦」の原因となっているからである。
そうして、「苦」から遠ざかるには、縁起したものは無常であり、すべてのものごとに実体的な存在、アートマン(我)はないと、明らかな智慧をもって観ずること、そのような境地に至って執着から解放され、解脱することであるとする。結局、「無我」「無常」が世界の在り様であると、確信的に思い定めて了知する境地を体得することで「苦」は解消できるとするものである。
この釈迦仏教の教理が持っている課題は、「無我」や「無常」という「無」概念が教えの中核となっていながら、最初に述べたように「無」であるとはどういうことか、「無」であるとしてその場合「ものごと」はどういう在り方をしているのかということ、その内実が示されず、また「縁起した」ものごとの在り様はどういうものであるかということについて説明がなく、実体が茫漠としているということにある。こうした漠然とした境地の体得ということがキーとなっているため、原理的に、そのような茫漠とした境地に至ることができて解脱した修行者のみが「苦」から解放されるという限界を持っていた。
そこで、このような「無」概念によって提示しようとしていた、「ものごと」の在り様の内実を明確にすることが必要であり、かつそれは現代においては歴史的な展開の中で明らかになってきた各種の知見に基づいて獲得することは可能である。
次に、仏教が生き残るために、釈迦仏教は衆生を済度する大乗仏教に展開して行くことになった。それを可能にしたのが、「無」概念から「空」概念への展開であった。すなわち、「ものごと」は、それ自体の在り様が「空」であるということであり、存在する「ものごと」に「実体」が「無」いのではなく、「ものごと」はまったくの「空」としての在り様をしていると捉えることとなった。
「空」概念においては、「ものごと」の在り様を一旦字義通り「空」として捉えておいて、その上で今度はその「空」概念を形而上学的観念論によって実体的な概念として処理する展開されて行くことになる。すなわち、「空」であるということから一転して、「空」であるということは、清浄であり、普遍的であるとし、従って「真如」であるとされる。また、「空」は普遍的であることから、すべての現実的な「ものごと」はこの「空=真如」が顕現したものであるとされる。
このように「空」概念は、「無」概念に取って代わったが、「ものごと」の在り様が「空」であるとは具体的にどういう在り様をしていることを指すのか、その内実を提示することなく、観念論的にその特性を清浄で普遍的であるとするのみである。現代においては、この「空」についても「無」の場合と同様にその内実を明確にすることが必要であり、それは可能である。
大乗仏教においては、その「空」概念が観念的であるがゆえにどのようにも観念できて多様に展開されることになる。まず『般若経』でこのような「空」概念が提示されることで、その中にすでに大乗仏教の各宗派において見られる多彩な教理展開の端緒が提示されている。
『般若経』で「空」概念が実体的に理念化されると、次には『法華経』においてその「空=真如」の理念が実体的な「仏」として明確に定立されるに至る。そして、その「仏」への帰依によって「仏」の慈悲を受けて衆生が済度されるということになった。その一方、実体的で超越的なものとして「仏」を立てておきながら、その裏で暗黙裡にそれは「空」であるとし、「空」であることによって現実的な「ものごと」の総体でもあるという在り様をすることになっている。
『法華経』では、釈迦が解脱した後の釈迦如来ではなく、久遠の本仏としての「釈迦仏」を立てて歴史的な存在の釈迦は本仏が現世に姿を現したものであると解釈し直すとともに、種々の「仏」を登場させている。
そうして、「仏」が観念的でありながら実体的に定立されると、「仏」が形をもったものとなり、「仏像」が形成されてそれが信仰の対象とされるのは必然的であり、何の不思議も違和感も生じない。さらに、実体化された「仏」が登場すると、「仏」は社会状況やそこでの種々の考え方に応じて多様に展開されて種々の「仏」が生まれてくることになる。
例えば、「仏」が定立されると、自分が解脱して成仏する前に衆生を救済し、衆生が救済されない間は成仏しないという、衆生済度の直接的な担い手の菩薩が創出される。また、「仏」自体が、衆生が救済される、具体的には極楽浄土に往生することが約束されない間は自ら成仏することなく修行を続けると誓った上で実際に「仏」となったとする阿弥陀仏が登場する。
一方、このように「空」から超越的な「仏」を生み出す方向に進むのではなく、「空」概念を論理的に明らかにしようとする流れも登場した。龍樹は、「ものごと」は、心の分別作用によって名称を付けることによって、それがあたかも実在するかのように錯覚して作り出したもので、虚妄でしかないとし、また「ものごと」は名前を付けて他と区別されることで生起したものであるとし、それが「縁起」であるとしている。かくして、存在していると見ている「ものごと」とは、「仮名」であり、「無自性」であり、「空」であるとする。結局、このような解釈・理解は「空」の在り様を明らかにするものではない。むしろ、「実体(不変的な実在)」か、そうでなければ「空」かの二項対置をした上で、「何か在るもの」に対して名前を付けることで、名付けられた内容が「実体」として存在すると錯覚しているが、「名付けられた内容」そのものが「実体」として存在しないことは分析すると明らかであるので、「何か在るもの」は「空」であるとしているに過ぎず、「ものごと」の概念的把握ということを理解しないものである。
一面で、「何かあるもの」に対して一旦名前を付けてしまうと、その「名付けられたもの」を実体や本質として実体化して見てしまう傾向は確かにあり、そのことに十分に留意する必要があるとは言えるが、しかし名前を付けて概念的に把握することは「ものごと」の認識・把握にとって意味のあることであり、それなりに根拠があってのことであり、絶対でないから零(空)であるというのは間違いである。
「概念的把握」を簡単に説明しておくと、「ものごと」の在り様において各「ものごと」間の諸関係に意味のある纏まりがある場合、その意味ある纏まりに「名前」を付けることで「纏まり」として理解し、その理解に基づいて諸関係を構築して行くことができるということである。「ものごと」に「実体」は無くても「空」ではなく、特定された「ものごと」として把握して有意な関係を取り結ぶことができるということである。
また、「縁起」についても、「ものごと」の認識に際して、言語表現された「ものごと」は言語間で相互に依存・限定し合って相対的に成立していることであるとされているが、「縁起」はそのような言語理解によるものではなく、「ものごと」の在り様自体に関わる事柄である。
このような龍樹に対抗して「ものごと」の在り様の解明を行ったのが世親の唯識派であった。唯識派においては、世界の一切の「ものごと」は実存するのではなく、意識の投影であるとし、「唯識無境」「色心不二」であるとする。その意識を分析して、五感+意識の六識と、根源的自我意識の末那識と、阿頼耶識の八識があり、阿頼耶識が他の七識を生み出し、阿頼耶識は循環を繰り返して存在し続けるとしており、「ものごと」の諸関係を観念的に阿頼耶識に昇華し、正に「アートマン」として定立したものと言える。しかも、最終的にこれらの意識を否定して「ものごと」(外界)も識も消えて法界を生じるとし、大山鳴動して最終的に仏に依拠し、瑜伽行の修行に基づいた菩薩行の階梯を登り悟りの境地に到達するとしている。
これらの展開の上に、次に『華厳経』において「盧舎那仏(大日如来)」が登場して、「仏」を主体としてそれに「ものごと」・世界が一体化されることとなった。すなわち、時間も空間も超越した存在である盧舎那仏が、かつて菩薩として修行を積んで世界を作り上げられたとし、その仏の世界が現実の世界の本当の姿であるとされる。ここで、「空」の在り様は仏の世界として明示的に結実したと見做せる。また、その世界に至る道として、菩薩の修行が位置付けられるとともに、釈迦仏教における悟りが否定され、「仏」の絶対普遍性が顕揚される。
この『華厳経』の盧舎那仏(大日如来)は、それまでの「ものごと」の在り様としての「空」の奥に「真如」・「仏」を見るという段階からさらに進めて、「空」が「仏」に昇華され、矛盾した言い方になるが「空を体現した実在」としての「仏」となり、「ものごと」と「仏」が一体として理解され、現実的な「ものごと」が「仏」の在り様として表に出てくることになり、大乗仏教の一つの結節を成したと言える。
この結節から、「仏」(盧舎那仏・大日如来)を、超越的で神秘的な存在とする「密教」の方向と、「仏」の現実世界での在り様を探求する「華厳宗」の方向とに分岐している。
密教への流れは、『大日経』や『金剛頂経』で大日如来を中心としてその下に諸仏や天・神などを配した曼荼羅の世界が作り上げた上で、真言・陀羅尼を唱え、加持祈祷を行うなどの呪術的所作を行うことで、現世利益を得たり、即身成仏ができるとするもので、超越的で絶対的な仏を立てた状態で仏教以前の神秘的宗教に逆戻りしたものである。
「華厳宗」は、中国の現実主義的な環境の中で、大日如来の内実である世界の在り様を明らかにすることが課題とされ、それが「縁起」で説かれることになった。釈迦仏教においては「ものごと」は「縁起」したものであるから「無常」「無我」であるとしながら、「縁起」についての説明はなく、その実質的な内容は不明なままであった。その後、龍樹は「ものごと」は言語で表現されることで成立しているに過ぎず、「空」であり、にもかかわらずそれを実在するものと妄想されているだけであり、かつその言語による認識は黒白のように相関的にのみ存立していることから、それを「ものごと」が存立する「縁起」であると解し、「縁起」を言語表現に伴う観念的な事柄としていた。
「華厳宗」では、法蔵によって大日如来の内実たる「ものごと」の在り様が「法界縁起」として、またそれが「重々無尽縁起」であるとして提示され、その意味で「ものごと」に実体性はないものとされており、ここに至って現実世界の在り様として「縁起」が改めて取り上げられたのである。さらに、澄観によって法界は「事々無碍法界」、即ち「ものごと」は互いに縁起し合う存在であり、因縁の連鎖でとけあっていて滞りなく共存し、世界は「ものごと」が相互に交流・融合する真実の世界であると明確に提示された。
この世界観は抽象的なレベルとしては現代の世界観とも共通していて通用するものであり、さらに現代の知見に基づいて縁起の在り様を具体的に明らかにすることは可能で、そうすることで現代釈迦道の世界観とすることができると思われる。
華厳宗はその後、理屈っぽく理論中心であることから、それに飽き足らず端的に仏道を修することができるとして禅宗が中国を席巻する。
禅宗は、釈迦の静定を原点としつつ、中国で達磨によって『般若経』段階の大乗的な「空」と「仏」に基づく禅宗として確立されたもので、小乗的な修行を積み重ねることによって漸次悟りを開いて成仏するという流れも生じたが、衆生においても元々仏性を有しているので、思慮分別や価値判断を停止しさえすれば、本来備わっている「真如」・「仏」が顕現して体験的に把握できるとする流れが主流となった。
ただ、その中でも衆生にも備わっているとされる「仏性」に関して「仏なるもの」と見るか、「万法としての仏」と見るか、また「仏性」はどのように現れるかという考え方や、修行方法や修行と悟りの位置付けなどについての考え方によって、さらに教理の継承が師資相伝という形で行われることで師の考え方や個性・特性によっても分岐し、多数の宗派が生み出されることになった。
こうした禅宗の流れの中で、最終的に在るべき態様を示していて、現代釈迦道にとって意義深い坐禅の在り様を提示しているのは曹洞宗、特に道元禅であると考えている。というのは、後程改めて詳細に検討することになるが、道元は「仏なるもの」を否定し、そのような「仏」になること「作仏」を否定し、「仏性」を「万法」として解し、その意味で元々あらゆる「ものごと」が「仏性」として存在しており、坐禅は「行仏」であるとしているからである。
一方、道元の「仏性」の考え方は、表立って説明されることはないが、「万法」が現成すると述べられていることから判断して、華厳宗の世界観、法界縁起の世界観が暗黙の前提になっているように見られる。
以上のことから、現代釈迦道にとって道元禅は華厳宗の事々無碍法界観と菩薩行とともに重要な要素である。