Ⅲ. 大乗仏教

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Ⅲ. 大乗仏教

Ⅲ.1 概説―大乗仏教とは―

 大乗仏教の「大乗」とは、多くの人々を理想世界である彼岸に運ぶ大きな優れた乗物という意味であり、大乗仏教とは衆生救済(一切衆生の済度)を目指す仏教という程の意味である。
 そのため、大乗仏教において仏教徒が目指すべき理想は、初期仏教のように己が覚りを開き、一切の苦しみから解放された涅槃(ニルヴァーナ)に解脱して、「仏」や「羅漢」になるということではなく、己が覚りを開くのをおいても利他のために奉仕する菩薩になることであり、大乗仏教の特徴は、菩薩の修行、他者救済の重視、また在家修行の承認ということにある。
 尤も、初期仏教においても自己の覚りのために求められる心構えや生活の在り方及び修行は自利であると同時にそのことが利他をもたらすものとして考えられているが、大乗では自利は二の次にして利他を実践することが自利につながるものとしている点で力点の置き方が逆であるということである。
 このような大乗仏教の成立及びその発展を教理面で最初に推進したのは「空」思想の深化である。「空」の論理は「縁起」の法が展開されたものである。初期仏教で「空」がみられるのは、『スッタニパータ』の第1119偈に、「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。・・・」と記されている程度であり、存在するものは「縁起」したものであるが故に、不変の確固たる実体というものではなく、無常であるという意味で用いられ、実質的に「縁起」の論理の埒内にあるものであった。
 この「空」概念が大乗仏教では拡張され、「現実の存在」とされているものやそれらの「認識」だけでなく、初期仏教で到達されるべき「涅槃」の境地なども含めてすべての事柄が「空」であるとされるようになったのである。
 中観派の始祖である龍樹が、「空」概念を論理的に深化させ、直感的・比喩的に説かれていた「空」に論理を与え、「空の論理」を完成させたと言われている。龍樹は、「部派仏教」の中の一つの主要な部派である「説一切有部」においては、生成変化する事象の背後に変化・変質しない独自・固有の相をもったイデアのごとき、形而上的・独立的・自立的な基体・実体・性質・機能としての「法」が想定され、説明されていることに対して、『中論』において、すべてのものは無自性であり、「空」であるとの立場から批判しており、その批判を行う上で「空」の概念を深化させていったものであると思われる。
 『中論』の冒頭では、八不(不生不滅、不常不断、不一不異、不来不去)が挙げられ、このように二項対置される現象・概念は仮名、無自性であり、すべてのものは実体がなく「空」であるとしている。なお、『中論』というのは、常見・断見のような両極に偏った見解(二辺)のいずれかに陥らず、「中(中道)」の立場を獲得護持することを賞揚していることによるものである。
 このような「空」の境地に至ることを目指す「空の実践」は、世俗も涅槃もいかなるものにも「とらわれない」ことによって目的を達成できるとされ、世俗にこの大乗仏教の理想を実現しようとする「慈悲行」「菩薩行」としてあらわれるとされている。具体的には「六波羅蜜」の実践が説かれている。「六波羅蜜」とは、六つの徳目という意味で、その内容として、①布施、②戒律、③忍耐、④努力、⑤禅定、⑥智慧の完成、が挙げられている。この大乗仏教における実践の徳目においては、他者に対する無償の施しである布施が最初に挙げられている。
 さらに、「空」概念が深化されると、その普遍性、無差別性を根拠にして一転して「空」であるということ自体若しくはその背後に実体的な「仏」の存在を想定するようになり、「思慮の及ばないもの」としての「仏」が登場するようになった。そうなると、「仏」は常在不滅の存在としての「仏」となり、さらに神通の不思議な力をもった超越的な存在としての人格神的な「仏」という理解すら登場することになった。
 それに伴って、「仏」を実体的で普遍的な存在と観ずることから、その「仏」に対する絶対的な帰依が求められるようになった。また、釈迦の存在に関しても、釈迦が悟りを開いて仏陀になった、すなわち釈迦=仏陀というのではなく、仏陀は超絶した天上の存在であり、釈迦は仏陀が地上に現われた仮の姿であるということにされた。
 また、別の展開として、世界は宇宙的な仏(=毘盧遮那仏)の内実と見ることになり、それによって現実的に感知される世界を、「無」や「空」として非存在であるというように、ある意味否定的に観ずるのではなく、肯定的に見ることができる存在になるというように逆転した見方に、あるいは常識的に正常な見方に戻ることになった。
 また、「仏」が天上の超絶した存在とされたことにより、その「仏」が衆生を救う担い手としての「菩薩大士」、中でも「観音菩薩」が前面に打ち出され、観音に対する衆生信仰が賞揚されるようになり、また種々の能力や作用に対応する多数のあるいは無数の仏や菩薩が作り出されることになった。
 大乗仏教の成立理由を大きく見ると、支配階級の宗教としてのバラモン教の在り方を否定して相対していた沙門宗教を乗り超えるものとして初期仏教が登場し、仏教が大いに栄えたが、それに対してバラモン教が民間信仰を取り入れて衆生に受け入れられるように変質し、ヒンドゥー教が生み出され、その結果、仏教が衆生に広く受け入れられ難くなってその存在が危うくなってきた。そのため、ヒンドゥー教に対抗して衆生救済を実現するものに転換することを余儀なくされ、そうした状況の中で仏教自身の自己変革として大乗仏教が成立したものと考えることができる。

Ⅲ.2 概略史

 次に、以上の大乗仏教が展開してゆく過程を、インドの歴史過程に沿って初期仏教の時代も含めて概観しておくことにする。
 BC5C頃、北インドのガンジス河流域においては、商業活動が活発に行われ、都市が発展していた状況にあって、都市国家であるマガタ国やコーサラ国などの複数の王国が並立していた時代に、釈迦によって初期仏教が開かれて登場した。
 その後、マガタ国がコーサラ国を滅ぼし、BC4Cにはナンダ朝が成立するが、アレキサンダー大王の侵入によって混乱を来した結果、その刺激を受けて統一の機運が生じ、チャンドラブクタ王によってマウリア朝(BC317年頃~BC180年頃)が樹立される。仏教は、釈迦入滅後、弟子の間の見解の相違により多くの部派仏教が生じていたが、互いに強く対立することなく共存した状態であった。マウリア朝の第3代のアショーカ王(BC304年~BC232年)が、インド統一を初めて成し遂げるとともに、仏教を信仰・保護し、法(ダルマ)に基づいて統治を行い、仏教は大いに繁栄した。しかし、マウリア朝はアショーカ王没後急速に衰退し、再び王国の乱立状態となる。
 その後、AD1Cになると、北インドにイラン系のクシャナ朝(1C頃~293年)が樹立された。1C半ばからはローマ帝国との東西貿易の大動脈であるシルクロードが形成され、その中継貿易によって繁栄し、新興商人階級が勢力を拡大した。
 大乗仏教は、新興商人階級の信仰対象として紀元頃から徐々に登場する。紀元頃の最初期から「中観派」の開祖である龍樹までの期間(AD1年~250年)が大乗仏教の前期である。
 この時代には大乗仏教に帰依した新興商人階級が、大乗仏教の担い手であった民間の宗教者を支持し、大乗仏教の勢力を伸長させた。中でもカニシカ王(144~173年)の時代には他の宗教も認められていたが、主に仏教が保護されたことで隆盛を極めた。AD150年~250年の間に、龍樹によって大乗仏教は大きく変質しつつ確立されて行くこととなった。また、北西インドで、ヘレニズムと融合したガンダーラ美術が成立し、信仰対象としての「仏」を具現した仏像が作り出された。
 この時代には、主要な大乗経典の多くが、すなわち『般若経』、『法華経』、『観音経』、『維摩経』、『阿弥陀経』・『大無量寿経』・『観無量寿経』の浄土三部経、『華厳経』が成立している。なお、浄土三部経は、2C後半には中国に入り、日本には7C前半に入っている。
 一方、この時代にほぼ並行するBC1C~AD3Cのデカン高原では、ドラヴィダ人によるサータヴァーハナ朝が樹立され、パクス・ロマーナ期のローマ帝国と季節風貿易が行われた。
 その後、ササン朝ペルシャの圧迫でクシャナ朝は衰退し、東西貿易が衰退し、商業資本も減衰し、大乗仏教の繁栄は商業資本や王の保護を失ったことによって一段落した。
 その後、AD320年~550年頃にグプタ朝が樹立され、北インドが統一された。グプタ朝では、3代目のチャンドラグプタ2世(在位376年~415年)がヒンドゥー教を国教として普及を図ったことでヒンドゥー教が定着するが、その一方で仏教もジャイナ教も保護されたことで、大乗仏教はヒンドゥー教の影響を受け入れ変質しつつ大いに栄えた。なお、この時代にナーランダ僧院が形成され、その後仏教教学の中心施設として機能し、7Cには玄奘が訪れている。しかし、グプタ朝は遊牧民エフタル(インド・エフタル)の侵攻により6Cには衰退し、6C半ばには滅亡し、分裂状態となった。
 このグプタ朝の時代が、大乗仏教の中期に相当する。中期はAD250年~5Cの間、龍樹の後、「唯識派」の大成者、無著、世親までの期間であり、この時代には、『勝曼経』、『楞伽経』、『金光明経』が成立している。
 その後、7C前半にはヴァルダナ朝が樹立され、ハルシャ王(AD606年~647年)が北インドを統一し、仏教を保護したが、次のアラナシュ王(AD647年~648年)になると分裂し、以降衰退した。
 このヴァルダナ朝の時代が大乗仏教の後期に相当する。後期は5Cの世親の後の時代、ヴァルダナ朝の時代を中心とし、6C~7Cにかけて密教(経典中心)が登場した時代であり、この時代には、『理趣経』、『大日経』、『金剛頂経』が成立している。

Ⅲ.3 主要な経典の要点

 次に、上記した主要な各経典の要点を見て行くことにする。

Ⅲ.3.1 『般若経』

 (1) 構成
 『般若経』は「般若波羅蜜」(智慧の完成)を説く600余の経典群の総称で、唐の玄奘三蔵が集大成した経典が、全16会(部)、600巻の『大般若波羅蜜多経』であり、『般若経』と略称されている。
 初会『十万頌般若経』、第2会『二万五千頌般若経』、第3会『一万八千頌般若経』、第4会『八千頌般若経』、第5会『八千頌般若経』(一異本)、第6会以降は個別的般若経で、第6会『勝天王般若経』・『如来秘密経』、第7会『文殊般若経』(「曼珠室利分」)、第8会『濡首菩薩経』(「那伽室利分」)、第9会『金剛般若経』(「能断金剛分」)、第10会『理趣経』(「般若理趣分」)、第11~16会は、布施(施与)、持戒(道徳)、忍辱(忍耐)、精進(努力)、静慮(禅定・瞑想)、般若波羅蜜多(智慧の完成、『善勇猛般若経』)に係るものであり、「六波羅蜜」に対応している。なお、「頌」とは元来、四句三十二音節からなる詩型のことであるが、散文経典の長さの単位を意味している。
 この『般若経』において、最も古い部分である第4会『八千頌般若経』は紀元頃~1C半ば頃までに、『般若経』の主な内容を完備した状態で成立し、それも原型から増広されて成立したものと考えられており、その後数百年にわたって増広が繰り返されて大部の『般若経』全体が成立したものと考えられている。さらに、『般若経』はその後に多彩に展開された大乗仏典に見られる主な要素をほぼすべて網羅しており、大乗仏教の根幹の経典である。
 (2) 特徴
 『般若経』は、多くの民衆がヒンドゥー教の信者となって行くことに対する危機感から、仏教の自己変革として登場してきた大乗仏教における最初の経典である。そのため、「無量無数無辺の衆生を救う」という大乗思想が最も根幹にあり、それを担う菩薩と理論的に支える「六波羅蜜」が提起され、特に「六波羅蜜」の「智慧の完成」、そして「空」、「如来(仏)」、「廻向」などの概念が、釈迦仏教における「縁起」、「無常」、「無我」などの概念の展開として提起されている。
 (3) 菩薩
 大乗思想においては衆生を救うということから、釈迦仏教ではさとりを志向して「八正道」の実践を心がける人であった菩薩が、「菩薩大士」として偉大な他利の完成を志向する人、一般大衆とともに歩み、大衆を代表して「六波羅蜜」を実践する人とされた。なお、「大士」とは有情の大集団・大群衆の中の最高のものということを意味する。菩薩大士は「智慧の完成」を追及するが、それとともに菩薩大士には、他人の善事に随喜し、功徳をさとりに「廻向」することを伴った善行徳目があるとされる。一方、「有情」(衆生)には布施、持戒、(忍耐、努力)、瞑想の三波羅蜜(五波羅蜜)に基づいた善行徳目があるとされている。あらゆる「有情」を救う菩薩にとっては、さとりを求めることと「有情」の救済のためにはたらくこととに区別はなく、菩薩はその両方を求める「巧みな手立て」の実践者とされている。「巧みな手立て」(方便)は、衆生たちに進むべき道を示し導いて、諸々の物事にとらわれていることから離れさせ、解放する。かくして、菩薩は極端な自己犠牲と道のためにいかなる難行も厭わない不撓不屈の努力によって、究極の「智慧の完成」を求めるとともに、慈悲によって衆生を救済する人となった。このような菩薩の在り様は、ものの空性を知り、ものを区別せず、「迷いの世界」と「さとりの世界」とを区別せず、「不二」のものであるとする思想に基づいている。
 (4) 六波羅蜜
 菩薩が実践する「六波羅蜜」とは、布施、持戒、忍辱、精進、静慮、般若波羅蜜多(智慧の完成)の六つの最高の徳目で、彼岸に行く「智慧の完成」への道である。六つの徳目の内、前の五つはすべて最後の「般若波羅蜜多(智慧の完成)」を前提とし、それに向けてのものであり、「智慧の完成」に向けられていない五つの徳目は意味がないとされている。
 「六波羅蜜」の最初の「布施」に関しては、「相に住せずして布施」すること、すなわち損得など諸々の事柄にこだわったり、意図することなく布施することが重要で、そうすれば「福徳」が得られるとされている。また、その布施に当たっては、「三輪清浄」ということが言われ、布施する者も、布施の対象物も、布施を受ける者も清浄であることが求められている。
 「持戒」、「忍辱」、「精進」、「静慮」に関しては、釈迦仏教の八正道に共通している。
 最後の「智慧の完成」は、「無上にして完全なさとり」(無上正等菩提)であり、量りしれない、限りない、この上ない至高(無等等)の偉大な呪術であるとされている。そして、この「智慧の完成」を書物のかたちとし、供養を行って安置し、供養を続けることで(だけでも)福徳(現世利益)が得られ、「智慧の完成」を読誦しあうことで、喜びにひたり、心身の疲労を生じず、安静でいられるとまで述べられ、完全に超越的な実体的存在とされている。また、釈迦は「智慧の完成」によって如来となったのであり、釈迦は「智慧の完成」の「巧みな手だて」として生じた「全知者の知の容器」であるとされる。それに相即して釈迦の遺骨は尊重はするが、如来の身体と考えてはならないとする。
 (5) 智慧の完成と仏・如来
 「智慧の完成」は、特徴の断滅を獲得することではなく、特徴の断滅は仏陀の教えを完全に満たしていず、「声聞」にとどまるものであるとする。特徴、その形態・しるしを知りながら、しかも特徴なきものであると充分に察しているという「巧みな手だて」によって「智慧の完成」への道、最高の真実を追及することができるとしている。「智慧の完成」とは、ものが本質的に「空」であることと、それが幻や夢のごとく現象している様相のすべてに通じること、幻夢である有情と涅槃は不二であることをさとり、空と有を不二一体にさとり尽す仏陀の智慧であるとし、かつ無限の、すべてのものの完全性であり、偉大な呪術であるこの「智慧の完成」から全知者性を生じ、その全知者性によって完全なさとりをさとった仏陀(如来)となるとされている。また、この「智慧の完成」は、「仏陀」の「威神力」の助けによって可能になるものとされている。
 菩薩大士の「智慧の完成」への道の追及は、すべてのものを取得しないという精神集中(三昧)であり、それは存在性も非存在性もなく、変化せず、妄想(分別)を離れているという無心性(心でない心)にあり、しかもこのような心にさえ執着せず、こだわらないというものであり、それは広大で高貴、決定的に無量であり、声聞や独覚と共通しないものであるされる。そして、菩薩はすべてのものに執着しない、すべてのものを理解するために、無上にして完全なさとりをさとるとされる。
 菩薩大士が、このような菩薩乗によって真相に向かって修行し、真相と全知者性にとどまって教えを説くことは、声聞乗や縁覚乗よりもすぐれているとし、大乗仏教が釈迦仏教を踏襲する初期仏教に対して優れていることを強調している。
 初期仏教の菩薩は、五波羅蜜を行じたが、最後に「智慧の完成」に守られず、「巧みな手だて」を欠く声聞の階位に入ってしまって仏の階位に入れず、如来の精神集中、智慧、解脱の明知に基づく直観(の真実)を知らず、見ないとしている。空性という言葉で特徴づけられる状態で完全なさとりに向けて廻向しようとしても、声聞・独覚の階位に陥ることになり、仏の階位に入るには「智慧の完成」を修習し、「巧みな手だて」を熟達していなければならないとする。菩薩大士は、声聞の完全性を学ぶがそれにとどまるものではなく、声聞・独覚にふさわしい人々を圧倒して全知者性が間近い階位に達し、そこから声聞と独覚の階位を遠ざけて智慧の完成への道を追及することで無上にして完全なさとりに間近くなるとする。しかも、それを意識することはなく、見ることはない。というのは、「さとり」は「空」であり、「空」は生起しないものであるから、さとることができるいかなるものも存在しないからである。別の言い方では、菩薩大士は、無量、無数の有情を涅槃に導くけれども、ものの本性の立場から言えば、涅槃に入る人も、涅槃に導くいかなる人も存在しないということである。
 (6) 「空」
 「空」概念は、「縁起したものに執着するな、とらわれるな」ということから、「実体としての生きものが実存すると思ってはならない」、「実体がないのだから、生滅、垢浄、増減もない」、「真・虚、善・悪、覚り・迷い、・・等々の区別にとらわれるな」と展開され、さらに「とらわれない境地において、とらわれることなく実現している」と展開して捉えられる。かくして、「空性」は「智慧の完成」と相応した意味深い境地であり、無相(特徴無し)、無願、無作(行為なし)、不起、不生、止滅、涅槃、愛着を持たない、離れ去る、五蘊(その真相)の意味深さというようなことに理解される。
 さらに、「物質的存在から仏陀の本性ということまであらゆることに、空である、不空であると心をとどめてはならない」として、「空」にとらわれてはならないとされる。また、言葉を変えていえば、それは無心性ということ、即ち心でない心であり、存在性も非存在性もなく、変化せず、妄想(分別)を離れているということであり、しかもこのような心にさえ執着せず、こだわらないということである。「空」は恒常でもなく、無常でもなく、束縛されておらず、解放されてもいず、「清浄」であるとされる。そうして「空は人智を超えた神秘の力・法則、超越的な法則である」というように神秘的な「空観」が説かれる。
 その上で、「もろもろの相は相に非ずと見るならば、すなわち如来を見る。仏を見ることになる。」(『金剛般若経』)というように、空観から「仏」「如来」の存在が説かれる。如来の真如(真相)は、あるとも、ないとも言えないすべてのものの真相であって、その真相に追従することであり、永遠性を有し、変化せず、変化を離れ、区別されず、区別を離れ、二つに分かたれない、不二の真相であり、真相でないことはないものである。この真相を身体とするものが法身で、完成されたものから生じたものであり、法身には威神力があるとされる。
 (7) 「廻向」
 「廻向」に関しては、「智慧の完成」を理解することによって「巧みな手だて(善行方便)」によって善根をさとりに廻向できるとされ、あるいは「空」の論理を理解した人は、善行の業によるエネルギーを仏になる力に振り向けることができるとされる。それが可能になるのは、「空」の思想においてはものに固有の本体がないのであるから、ひとつのものから他のものに転換し得るということになり、施与や道徳という倫理的価値をさとりという宗教的価値に転換することも可能であると考えられるようになる。かくして、善悪の業を原因として受ける報いである「業報」は元来倫理の領域のことであって、宗教的真理の獲得に寄与するものではないが、「智慧の完成」によって「善根」という倫理的行為を、無常にして完全なさとりに至るための原因に転換させ、振り向けけることができるとされる。具体的には、善事(五波羅蜜)を執着せずに(執着する、しないに執着せずに)行い、不生・不滅、不去・不来の「もののの本性」に従ってありのままに随喜して、ありのままに無上にして完全なさとりに廻向するということである。この善根(幸福の原因となる行為)を全知者性に振り向けるという形で発展させる智慧は、不思議であり、最高であるとされる。
 (8) その他
 『金剛般若経』においては、「空」概念を用いていないが、「空観」の立場に立った実践の心掛けが説かれ、特に「応無所住而生其心」(こだわったり、とどこおることがなくなることで、真実の心、さとりの心を起こす)ということが説かれているとして有名である。また、「我相、人相、衆生相、寿者相」(という観念)があれば、求道者ではないと説かれている。
 さらに、『般若経』の特徴は、上記のように呪術的な面を色濃くもっており、後述する『理趣経』(「般若理趣分」)を介して密教経典への橋渡しとしての役割を果たしていることである。
 この『般若経』で説かれている内容を略300文字に要約したものとされているのが『般若心経』であり、AD300年~500年頃に成立したものとみなされている。『般若心経』では、観音菩薩が舎利子という仏弟子に説くという形で、「空観」を説いて最後に「呪」を顕揚して閉じている。

Ⅲ.3.2 『金剛般若経』

 『金剛般若経』は略して『金剛経』とも呼ばれる。正式名称は『金剛般若波羅蜜経』で、「金剛杵のごとく、煩悩・執着を裁断する般若波羅蜜(智慧の完成)の経」を意味している。なお、短編であることから「三百頌般若経」とも呼ばれている。
 内容的には主として「空」思想を説いていて、大部の『般若経』の要約ともみられるが、「空」の語彙を用いずに「空」思想を説いていたり、直ちに本編に入っているなど、古い要素が見られることから、原型的経典の特徴を持っていることが指摘されている。
 具体的な記述内容としては、35章構成としたときの、3章で「我相、人相、衆生相、寿者相」が有るようでは菩薩(求道者)ではないと説かれている点や、10章の「応無所住而生其心」(まさに住する所無くす(何ものにもとらわれない)ことで、その心を生ずる)という句や、35章最後の「一切有意法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観」(一切の有為法は、夢幻泡影の如く、露の如く、亦雷の如し、まさにかくの如く観を作(な)すべし)という句などが有名である。
 また、禅宗では、慧能が若年のとき、ある人が『金剛経』を読誦するのを聞いて発心し、それを説いている五祖弘忍の下に赴き、下働きとして入門したが、その後、弘忍がある事案で慧能が悟りの核心をついていることを確認すると、慧能に特別に『金剛経』を説き、そこで「応無所住而生其心」という一句に至ったとき、本性を悟った表白をしたことによって、大悟したことを確認し、六祖とすることに決したということが伝えられている。
 かくして、禅宗が『楞伽経』に基づいた達磨禅から、弘忍を経て慧能によってこの『金剛経』に基づいた南宋禅に変化したと考えられている。

Ⅲ.3.3 『法華経』

 (1) 構成
 『法華経』は、『妙法蓮華経』の略称で、1C中葉~2C中葉の間、カニシカ王の後のヴァースデーヴァ王の時代に仏塔が多く作られ、仏塔の崇拝が盛んになった時代に、新興の商人階級の支持・帰依を得た大教団に属さない民間の宗教者によって龍樹よりも前に主要な部分が成立した経である。
 『妙法蓮華経』とは、「白い蓮の花(=正しい教え)」を説く経という意味で、中国天台の開祖、智頭が諸経の中の最高の経、「経の王」とした経典であり、内容的には『般若経』を整理・進化させたものと言え、釈迦が仏の教えを説くという形で記述されている。
 『法華経』の構成は、28品(章)構成で、智頭が前半の「序品」から「安楽行品」までの14品を、仏が釈迦という仮の姿をとって現れて一切衆生を一乗に会入させていくことを説いた迹門(仏の迹(あと)を世に残す)、後半の「従地湧出品」から「普賢菩薩勧発品」までの14品を、仏の本質を説いた本門と名付けている。なお、各品は散文とその内容を表現した詩頌群とで構成されている。
 『法華経』の主要な内容は、迹門の「方便品 第二」と、本門の「如来寿量品 第十六」にあると言われている。
 (2) 方便品
 「方便品 第二」においては、如来が深い意味を秘めて語られた言葉を本当に知ることは容易でないとする。というのは、語られた言葉は様々に違ったことに執着している衆生を解脱させるため、それぞれに応じた巧みな方便を用いて語られたものであるため、「語られた言葉」ではなく、そこに「深い意味が秘められている」ことに重点があり、そのために「難知」であるとされる。
 釈迦によって説かれた「四諦」を実践する「声聞乗」と、「十二支因縁」を自らの修行で追及する「縁覚乗」と、「六波羅蜜」を追及する「菩薩乗」の三乗については方便の教えであり、これら「三種」について説き明かすことは最高の巧みな方便であるとする。というのは、学問のすすんでいないものにとって真実の理解は困難であり、そのため「三乗」は最もすぐれた巧みな方便であると言う。
 このように「三乗」は方便の教えにほかならないとし、「一乗」のみが真実であるとする。「一乗」とは、最も深く、最も根底的な究極の真理、すなわち「秘要」に至る道理はひとつであり、乗り物もひとつであるということであり、「三乗」を超えてその先の「一乗」=「仏乗」に帰一するとする。仏陀は、衆生の状態を察して巧みな方便を説き、様々に異なった道(乗)を明らかにするが、同時に「一乗」を輝かしいものとする。仏陀は、多くの清らかな法を説いたが、すべては一つの乗り物を説いたのであり、一つの乗り物の中にすすましめ、一つの乗り物のうちに成就させると述べられている。
 そして、釈迦(=仏陀)が、「最高の法を私が説くべき時期がやってきた。その目的のためにこそ私はこの世に生まれてきてきた。その最高の菩提をいまやここで私が説こう。」と言って、「最高の法はいつかあるときごくまれに説かれるであろう。」と述べ、「法の本来のすがた(法性)がどのように思惟から離れたものであるか。」とし、「秘奥(の教え)とし、この秘奥の教えを受持せよ。」と述べる。それは、あらゆる法すべて、如来のみが知る、如来だけが直知するものであり、このことに信頼の気持ちを身につけよとし、この一乗を説いて無限に讃えることを求めるのである。その上で、声聞たちはこの一乗(仏乗)の説法だけでは満足できず、授記(仏陀になるという予言)を受けてはじめて安心するとして、声聞たちに授記を与えるとしている。
 このように『般若経』では三乗の違いを認め、「菩薩乗」を顕揚していたのに対して、『法華経』では真実は「一仏乗」、唯一無二の乗り物だけであるとし、その上で仏教の種々の教説はみなそれぞれ存在意義があるということを主張している。
 (3) 如来寿量品
 「如来寿量品 第十六」においては、「久遠の本仏」が存在し、仏身常住であるということ、すなわち如来は、思議を超えた遠い以前、永遠の昔に修行によってさとりをひらき、量り知れぬ寿命の長さを獲得し、以来常に現存する常住不滅の存在として、衆生を教化してこられたとしている。「久遠の本仏」が教えを成立させる根源であり、諸法実相の理で、「絶対のもの」であり、真実の姿は仏だけが知っているとしている。それに伴って、釈迦は如来の「方便のすがた」であって、釈迦が菩提樹下ではじめてさとったと思ってはならず、また釈迦が完全な涅槃にはいったこともないとしている。それは、釈迦が涅槃に入ってしまったと思わない限り、釈迦の言葉が耳に入らないから、教化のために方便として完全な涅槃をあらわしてみせたとしている。すなわち、如来に会い難いと思うと、努力し、心は正常となるからであるとし、そのためこの方便には虚言の罪はないとしている。
 また、如来(釈迦)は神秘的な力(秘密神通の力)を身につけていること、如来は真実の言葉を述べるということは虚偽でなく、疑うなと述べている。また、釈迦が菩薩に「真実のことばを語る如来を信じよ。」と語り、そういう私に信頼を置けと語ったとされている。
 以上のように『法華経』の全体的な特徴は、究極の真理の論理的・哲学的な解明を試みるものではなく、仏陀のみがそれを直証しうるものとして、その「秘奥の世界」に対する衆生の信を育もうとすることにあると言える。また、多くの比喩物語と菩薩の物語が記述されているという特徴がある。

Ⅲ.3.4 『観音経』

 『法華経』では、多くの菩薩の中から「常不軽菩薩品 第二十」「薬王菩薩本事品 第二十三」「妙音菩薩品 第二十四」「観世音菩薩不門品 第二十五」「普賢菩薩勧発品 第二十八」が取り上げられており、その中でも「観世音菩薩不門品 第二十五」は特に重要であると考えられて、分離して独立した『観音経』とされたものである。『観音経』では、観世音菩薩の偉大な慈悲力を信じ、観世音菩薩の名を称えれば必ずや救ってくれると説かれている。

Ⅲ.3.5 『維摩経』

 『維摩経』は、富豪商人の維摩詰という、在家でありながら大乗仏教の奥義に達したとされる仏弟子が大乗仏教の教えを説くという形式の経であり、2C半ば~3C半ばに成立したものと考えられ、龍樹と同時代で、龍樹の空概念を知った上でそれを敷衍している。
 大乗では、「理想の境地」を目指す動きとしての「空の実践」は、世俗も涅槃もいかなるものにも「とらわれない」「空」であるということによってその目的を達成することができると考え、「空の実践」は「慈悲行」となってあらわれるとし、「慈悲行」によって世俗に「仏教の理想」を実現しようとする動きを賞揚している。
 「観衆生品第七」(第7章 衆生を観ずる)において、「無住」であること、すなわち「一定のあり方にとどまったり執着しないこと」「とどこおりがない」ということの重要性が述べられ、「不二法門品第九」(第9章 不二法門)において、「分別を離れ、対立のない不二の境地」に到達すること、「不二の法門」に入ることが求めるところであるとし、「不二の法門」では「文字語言」はない、即ち言語では言い表すことはできないものであるとしている。

Ⅲ.3.6 『阿弥陀経』

 『阿弥陀経』は、1C頃に成立したと考えられており、時宗において主たる経典とされている。なお、阿弥陀(アミタ)とは、限りがない、無量であるという意味で、阿弥陀仏は無量寿(アミターユス)仏や無量光(アミターバ)仏とも呼ばれている。
 この経典では、現世は穢土であるとし、それに対して極楽浄土が対置されている。浄土信仰は以前からあって、十方(八方と上下方)に仏国土(浄土)があると考えられていたが、後にその中から、西方に向かって十万億もの仏国土を過ぎたところに阿弥陀仏がいる極楽浄土があると考えられるようになり、浄土と言えば極楽浄土のことと理解されるようになった。『阿弥陀経』は、その極楽浄土のみごとな姿を述べ、極楽浄土にいる阿弥陀仏に対する信仰をたたえている。そして、極楽浄土に往生することは、わずかな善行によってはできず、念仏を唱え、阿弥陀仏の名号を一心不乱に執持すれば、死ぬときに心顚倒せずに極楽浄土に往生することができると説かれている。
 簡便には、身体を調節するために行きつ戻りつ、そぞろ歩きする「経行」を行って念仏を唱えることによって浄土に往生することがすすめられている。

Ⅲ.3.7 『大無量寿経』

 『大無量寿経』は、浄土建立の誓願を説いた経典で、1C~2C頃、おそらく北西インドでまとめられたと考えられており、浄土真宗において主たる経典とされている。
 経典では、宝蔵菩薩(比丘)が四十八願からなる「衆生済度の誓願」、すなわち自分が仏になったら衆生をあまねく救い、衆生済度を実現したい、それが実現されない間は仏になることはしないという誓願を行って修行し、阿弥陀仏となったと説かれている。したがって、例えば衆生がまごころこめて阿弥陀仏を信じ願って念ずれば極楽浄土に生まれることができ(十八願)、また衆生が浄土に生まれるようにと願って善根・徳本(念仏を唱える)を積むならば、命の終わるときに阿弥陀仏が大勢の聖者とともにその人の前に表れる(二十願)などということが説かれている。
 また、阿弥陀仏に対する信仰を持っている衆生の現世における生活の在り方、その徳目としては、六波羅蜜が挙げられている。そして、穢土である現世で、一日一夜でも浄らかであれば、極楽浄土で百年間善をなすことよりも優れているとして、仏道の実践をすすめている。
 また、弥勒菩薩に「この経典を伝えるように」と付記されている。

Ⅲ.3.8 『観無量寿経』

 『観無量寿経』は、極楽世界・阿弥陀仏、観音・勢至菩薩の観想の仕方を説いた経典で、浄土宗において主たる経典とされている。この経典は漢訳のみで、サンスクリット語の原典はないが、敦煌にその内容をテーマにした壁画がたくさん残っており、また424~453年の元嘉年中に漢訳されたとされている。
 経典では、極楽浄土を念じ、観想する十六の方法が示されている。それは、西の方の太陽を観想する日想観、水想観、・・・仏のすがたを心に浮かべる像身観、その奥の真実のすがたを心に浮かべる真身観、観音観、・・・自在身観等の禅定に入った定心での観想と、上観、中観、下観が示されている。その中で重要な第八観の像身観は、仏・如来は法界身(存在するものすべてを身体とする)であって、一切衆生の心の中に入っているから、仏を想い、観想が成就すれば、それが自ずから開顕するから人はそのまま仏となるのだと解されている。ただ、後世の中国・日本では、仏のすがたを観ずることが、仏に救われるための手だてとなるという、善導の解釈が有力になり、日本の各宗派はこの解釈を採用しているということである。
 さらに、凡夫は心が散って定心での観想は困難であるが、その場合でも極楽を願い、阿弥陀仏を念ずれば往生することができるとし、九種の方法が上記の上観、中観、下観に示されている。すなわち、極楽浄土に往生する方法として、上品、中品、下品の人にそれぞれ上生、中生、下生の三種があるとされ、たとえ下品でも仏さまを十たびでもいいから念ずれば極楽往生することができると説かれている。

Ⅲ.3.9 『華厳経』

 『華厳経』とは、「大方広仏(絶対的な存在としての仏)の、華で飾られ荘厳された教え」という意味の名称の経典であり、4C頃に中央アジアでまとめられたものであると推定されている。晋訳は、六十華厳経(三十四品の構成)である。なお、後の唐訳では八十華厳経となっている。
 教えの要点は、宇宙的・絶対的な存在である毘盧遮那仏という存在について説き、世界はこの毘盧遮那仏の内実であるとし、それに基づいて菩薩行を説き、その実践を強調している。
 経典の中では「梵行品」と「十地品」と「入法界品」が重要と考えられている。
 「梵行品(第十二)」は、如来の十力は甚深であり、諸法は不思議な力で作り出されたもので、それ自体が空であり、よって空の体得によりとどこおりなく実践できると説いている。また、仏も本来は衆生であって、心により転じたものにほかならないとし、心をおさめる(修養する)ことが大切であると説いている。
 「十地品(第二十二)」は、心が向上する過程における十種の階梯(十段階の修行)があるとして、①歓喜地、②離垢地、③発光地、④焔慧地、⑤難勝地、⑥現前地、⑦遠行地、⑧不動地、⑨善慧地、⑩法雲地が挙げられている。①~⑥で自利の修行が説かれ、⑦~⑩で利他行が説かれている。
 「入法界品(第三十四)」は、善財童子の求道の物語であり、五十三人に教えを乞うという筋立てとなっている。そこでは、「菩提心」「道心」「さとりを求める心」を持てば無敵であるとし、「仏さまに対する信仰」を述べている。

Ⅲ.3.10 『勝鬘経』

 『勝鬘経』とは、コーサラ国王の娘である在家信者の勝鬘夫人が説いた経ということである。
 その教えは、「空」そのものが「法身」であるとして法の常住が説かれ、考えを超えていて思慮のおよばない仏としての仏身が登場し、それに対する帰依が求められる。また、仏(如来)の功徳をほめたたえることが善根となるとするとともに、身命財を捨てて正法を護持することを求めている。
 また、衆生においても、前世のさとりによって、未来に「さとり」を得て「仏」になることが可能であることが予言されているという、「如来蔵」の思想を提示している。
 そうして、「仏」になるための修行として、衆生を摂受すること、具体的には、①布施、②愛語、③利行(人々のためを図る)、④同事(共同する)の四摂法を行うことが求めている。また、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の(六)波羅蜜(徳の完成)が求めている。

Ⅲ.3.11 『楞伽経』

 『楞伽経(りょうがきょう)』の楞伽とはランカ島(スリランカ)のランカの漢語音訳であり、釈迦がランカ島で説いた教えとされているが、事実としては4C末~5C初頭に成立したものと考えられている。内容的には如来蔵思想と唯識思想、唯心の実践が説かれ、禅についても説かれていて禅宗の原点となる経典である。
 如来蔵思想としては、「如来蔵」は我々の本性であるとされている。
 唯識思想においては、識別作用は、眼、耳、鼻、舌、身、意に加えて、末那識(自我)があり、さらにその上に阿頼耶識(蔵)があるとしている。唯心は、万物はただ自分の心の現れである(三界唯心)とし、それに執着するから迷いに捉えられるとする。そこで、「自心を徹見して無分別を体験的に了解する」ように強調しており、これが禅宗で重んじられ、禅の原点とされている。
 また、「存在」についての見方として、①「遍計所執性(実体と誤認)」、②「依他起性(縁起したものと見なす)」、③「円成実成(「事実の本性は完全な完成されたもの)」の三種が挙げられ、③が最も高い段階であるとしている。
 また、「世界創造者」、「世界を創造するものは」というような問題の立て方自体が間違いであり、七種の自性があるとしている。

Ⅲ.3.12 『金光明経』

 『金光明経』は、4C頃成立したものと考えられており、正法で国を護ることが説かれ、国王の心構えを説いている。
 まず、仏教儀礼は特別の霊力、呪力を備えているため、それによって護国が担保されており、それを実現するための政治論として、国を法に従ってきちんと治めることを求め、一方悪を許し、見過ごし、処罰しない場合に「三途」に墜ちるとしている。
 なお、日蓮の『立正安国論』においては、国に正しい法が行われていないと、天災地変が起こるとしている。

Ⅲ.3.13 『理趣経』

 『理趣経』は、『大般若経』の「般若理趣分(品)」即ち「絶対的な安楽、すなわち金剛杵のように堅固で空しからぬ真実に達することを約束する経典の、さとりの智慧に導く道を示した章」を分離し、独立した経典として構成されたもので、七世紀に『大日経』や『金剛頂経』といった密教経典が成立した時期に成立し、八世紀に不空によって唐に持ち帰られて漢訳されたものと考えられている。
 内容的には世尊(釈迦)が大日如来やその変身仏になって般若波羅蜜多の理趣を説いたとされている。また、七世紀以降にヒンドゥー教の一流派であるタントラ教(タントラリズム)の秘密教義体系ができたことで、それに妥協・融合した内容となっている。
 その構成は、序分と、正宗分の第一の法門~第十七の法門と、流通分から成り、第一 大楽の法門は金剛薩埵の章、第二 証悟の法門は大日如来の章、・・・最後の第十七 深秘の法門は五秘密の章となっている。また、各章ごとに内容を端的に表した一文字の真言(陀羅尼=まじないの文句)、印契(=指や掌の形)が記され、それを用いて修行の目的を達成するようにされている。
 序分では、常住で永遠不滅の大毘盧遮那如来となった大日如来を褒め称え、大日如来がすばらしく荘厳な王宮で多数の菩薩にかこまれて正法を説いたとしている。
 第一 大楽の法門では、大楽(悦楽を含めた絶対的な安楽)は金剛であり、不空・真実であり、三摩耶(仏のさとりと合一した境地)であるとし、人間存在そのものをまるごと肯定している。具体的にはこの世のありとあらゆる存在も行為も、すなわち一切の法は自性清浄であるとして、性愛の快楽とそれに付随する九つの事柄、自分を飾り、満ち足り、光り輝き、安楽な状態にそれぞれする四つの行為、色形、音声、香、味の四つ、計十七を清浄の境地であるとし、菩薩の境地そのものであるとしている。
 そして、この教えよく受け保ち、毎日読誦し、しじゅう心におもっていれば、この世において真理の境地をえて、あらゆる事柄について自在を得ることになるとしている。
 第二 証悟の法門では、大日如来は完全なさとりの境地がどのようなものであるかを明らかにする智慧の教えを説かれたとし、完全なさとりとは、広大無辺な悟りであり、妄念と無縁で堅固な金剛平等、大いなる慈悲の心が根源の義平等、清浄なためあらゆる存在や行為にあまねくゆきわたる法平等、あらゆる存在や行為の判断が分別をはるかに超える超分別のはたらく業平等の四つの領域のさとりであるとし、これこそが智慧の理趣(道理)であると説いたとしている。
 第十七 深秘の法門では、毘盧遮那如来が秘密の真理、大楽の真理を悟り、あらゆる分別を超越した金剛薩埵の境地に入って、比べるもののない無始無終の法門を説いたとし、それは大楽は金剛のごとく不変で空しからざる真実であるという真理を知る智慧の道である。すなわち、①大いなる欲望を成就することで、大いなる楽・最高の境地を成就できる、②そうすると、大菩提・最高の悟りの境地を成就できる、③そうすると、強力な悪を木端微塵にできる最高の境地を成就できる、④そうすると、三界・全宇宙で自在な境地を成就できる、⑤そうすると、全宇宙のすべてのものがさ迷うのを止めることができ、このように大いなる精進の心をもって全宇宙のすべてのものを救い、利益し、安楽ならしめ、すべてのものを最高・絶対・究極の境地へ度らしめる、という五つの秘密に関する最高の智慧の教えを説いている。

Ⅲ.3.14 『大日経』

 『大日経』は、7世紀前半に成立した経典であり、「大日」とは「マハーヴァイローチャナ」の漢語による意訳で、音訳は「摩訶毘盧遮那」である。全7巻36品(第1~第6巻31品と第7巻5品)で構成されている。
 第1~第6巻の本編の31品において、「住心品第一」は教理を説いた総論で、第二品以降で胎蔵生曼荼羅の生成及び実修法が教義とともに説かれており、第7巻の5品は付随部門で具体的な実修法が改めて説かれている。なお、曼荼羅とは、数多くの諸仏や諸尊の集会を描いた諸仏の宇宙をあらわすもので、大悲胎蔵より生じたものとされている。
 真言門に入る修行者の心の在り方を説く「住心品第一」において、まず始めに経の全体構成として、大日如来が金剛界法界宮に在って、金剛薩埵を上首とする持金剛衆、普賢菩薩(菩提薩埵)を上首とする菩薩衆が集会し、そこで金剛薩埵(菩薩)が問いを奏上し、大日如来が答えるという様式で教えが説かれるということが示されている。
 内容的には最初に、如来の一切の真実を見る完全な智慧、「一切智智」は、菩提心を「因」として生じ、大悲を「根」として育ち、方便を「究竟」のものとするということ、所謂「三句の法門」が説かれている。菩提心とは悟りを求める心で、自己の心を正しく、ありのままに知ることであり、大悲とは仏の大きな慈悲であり、方便とは救いの手立て・手段で、仏の働きそのものであり、それが智慧の究極であるとしている。如来は一切智智を得、衆生の境遇・性格に応じ、種々の方便(手だて)をもって無量の衆生に教えを広く示されたと説かれている。
 次に、菩提と一切智はどこに求められるかという問いに対して、自己の心を正しく、ありのままに知ることが説かれている。なぜなら、心の本質が清浄だから、さとりとは心を完全に知ることであるしている。その心は形なきもの、すがた知りがたいものであり、分類・考察して求めても得るところのないものであるとし、心の完全な清浄に至ること(浄菩提心)が説かれている。この浄菩提心門を修学するならあらゆる障害が取り除かれた心境を得ることができ、神通力を発動し、邪見を離れて正見に至るとされている。
 また、人々は我執によって心が千々に分裂しているのに対して、無我という考えをも捨てた「空性」を了知して断(非実在)と常(実在)を離れ、さとりの静まり(涅槃)を求めよと説かれ、次いで大乗の行として自分と無縁と思われる人々も救いたいと願う持ち、三句(三心)を見つめて、無量の波羅蜜多(さとりの完成)を行じ、方便によって、分かち合う布施と、やさしく語り掛ける愛語と、相手を利する利(他)行と、平等に接する同事の四摂法をよりどころにして衆生に接し、皆に正覚(サムボーディ=三菩提)を志求させることで、無量不可思議の境涯の信解地に至り、無辺の智を生じ、恐怖・不安のない「六無畏」の境地に至ると説かれている。また、このようなさとりの岸辺に渡る筏として、幻惑に迷わないための十の比喩が挙げられている。
 第二品以下は、胎蔵生曼荼羅の出現、灌頂や護摩の作法、阿字(=蓮華)門、真言・印契、字輪門、行者の曼荼羅建立・入壇、内心曼荼羅への入壇、持戒、阿闍梨(密教の師僧)、修行者が修すべき十善戒、外・内護摩の作法、無相三昧の成就に向けての自性の空の観察、秘密真言を持する法、内(内面的)外(本尊に祈る)の念誦、等々の実修法が説かれている。
 なお、胎蔵生曼荼羅は、世俗に即して仏法を実現するのが密教の極意であるとし、虚妄の想念に執われず、三蜜の行と大悲の行を積み重ねて仏智を得、一切済度の実践を行って、「一切智智」(大日如来の内証智)に至るのが真言の実践者の在り方であるとして、その階梯を諸仏・諸尊の三重構造の図像配置で表したものであると見なされている。

Ⅲ.3.15 『金剛頂経』

 『金剛頂経』は、正式名『金剛峰楼閣一切瑜伽瑜儀経』で、高野山の金剛峯寺の名前もここから出ている。
 『金剛頂経』においては、大日如来は、一切義成就菩薩摩訶薩(ゴータマ)が正等覚菩提に至ろうとしているときに、如来たちの驚覚を受け、先ず自性成就の真言を誦し(通達本心)、次に菩提心を発する真言を誦し(修菩提心)、次に獲得した普賢大菩薩の菩提心をより堅固にする真言を誦し(修金剛心)、次に普賢心の金剛を堅固にする真言を誦し(証金剛心)、最後に仏形を具することを観ずる真言を誦する(仏身円満)こと、即ち「五相成身」によって金剛界如来(釈迦如来)となり、須弥山上の玉座について大日如来(毘盧遮那仏)と一体となり、金剛界曼荼羅の諸仏・諸尊を出生させ、その一切如来を集会させて金剛界曼荼羅を出現させたとされ、金剛界曼荼羅の諸尊の姿や配置、曼荼羅への入壇作法、灌頂の次第、諸尊の印契・真言など、儀礼・礼拝の作法(儀軌)が説かれている。
 因みに、『大日経』では釈迦如来は「胎蔵生曼荼羅」において中台八葉院の外周の第二の界域の東方の釈迦院に配置されている。